昔はどこの会社にも、鬼のような上司がいた。上司は部下を厳しく育てた。部下たちは、猛烈社員となって会社の発展に寄与し、日本は奇跡の復興を遂げた。高度成長後、40数年の歳月が流れ、いつの間にか会社から鬼の姿が消えていった……。
平等は、上下関係の逆転を招く。この場合、部下は束縛されず伸び伸びできるから、うらやましいと思うかもしれないが、それは逆である。仕事の成果を挙げなくても安閑としていられる。鍛えられるべきときに鍛えられない。行き過ぎた平等主義を標榜する上司の下にいて組織人としての成長ができない部下ほど、不幸な存在はない。
「課長、かわいい!」と女性の部下たちに言われて、まんざらでもなさそうな表情の上司……。心の中で「部下との関係はうまくいっている」と思っているのだろう。現代の日本では、ごくごく当たり前にある光景だ。だが、私はこんな風景に、深刻な事態の前兆を感じる。
「かわいい」というのは自分より小さいもの、弱い者に対する愛情表現だ。畏怖や尊敬の対象に「かわいい」という形容詞は使わない。だからこのように言われたら、逆に課長は「これはまずいなぁ」と苦い気持ちになってしかるべきなのだ。
私がこんなことを言っても、賛同してくれる人はほとんどいない。それだけ日本人に平等意識や個性尊重の個人主義、すなわち民主主義が根づいてしまっているからだ。部下がフランクな態度を上司にとることに、誰もが違和感を持たなくなりつつあるのだ。
民主主義の最前線ともいうべき、教育現場を見るがいい。学級崩壊がどんどん進んでいる。親も祖父母も民主主義教育を受けた世代が増えていった結果、権利を振りかざすモンスターペアレントが増え、教師のリーダーシップは制限されていく。児童は管理にアレルギー反応を起こし、教師の言うことなど聞かない。それどころか教師の中には「子供の目線で考えよう」と友だち言葉で話し、自分をあだ名で呼ばせることを厭わない者もいるという。
なんのことはない。部下に「かわいい」と言われて喜んでいる課長と、変わらないではないか。