昔はどこの会社にも、鬼のような上司がいた。上司は部下を厳しく育てた。部下たちは、猛烈社員となって会社の発展に寄与し、日本は奇跡の復興を遂げた。高度成長後、40数年の歳月が流れ、いつの間にか会社から鬼の姿が消えていった……。
最近、生徒に先生を評価させる学校が出てきた。「画期的な試みだ。子供の感性は鋭いですよ。どんな成果が挙がるか楽しみです」と教育評論家が褒めている。先生による子供の評価は「指導」の重要な一部分である。評価がなければ、指導は成り立たない。評価に基づいて、指導者は具体的な指導を行う。しかし、生徒は先生の指導者ではない。指導者ではない者が行う評価とは何か。それは、人気投票である。
東京商工会議所が毎年400社の新人社員から「理想の上司」像を調査していたようだが、この結果は無意味だと思う。新入社員のレベルや好みに合わせた上司像を演じようとする上司はいないし、新入社員の意識レベルに合わせて教育する会社もない。調査自体がナンセンスだということを、私も既刊書で書いた。
すると、いつの間にかその調査から「理想の上司」の項目がなくなっていた。さすがに指導者でない者が行う評価など、単なる人気投票にすぎないと気づいたのであろう。上司が目指すべき姿はイチローでも佐藤浩市でも天海祐希でもない。まだ会社に対して何ひとつ貢献していない新人を指導し、組織人として鍛え直すことこそが上司の本分だ。
むしろ、部下の顔色をうかがいすぎる上司というのは、問題である。新入社員は上司の任務や責任がどういうものかなどわかっていないし、組織における上司と部下の関係も理解していない。新人が主役の場など、新人歓迎会の一夜だけで十分。そう思っていないと、自己の権利ばかりを主張する自己中心的な人間になりかねない。
下のものたちが何を考えているかを知らなくていいとは言わない。上司は部下が何を考え、何を求めているかをよく知るべきである。部下を管理したり指導育成するとき、部下の意思を把握しているほうが遥かにうまくいく。部下を大事にする。よく面倒を見る。かわいがる。部下の立場で考え、思いやりを持って接する。──この範囲ならかまわない。