70年ぶりに捕鯨母船が竣工でクジラの肉が復権となるのか
かつて給食の定番であったクジラの肉が、復権の兆しである。国際捕鯨委員会(IWC)を2019(令和元)年に脱退したわが国は、同年に30年あまり続いていた調査捕鯨を商業捕鯨に切り替えた。そして、今年3月には70年ぶりとなる捕鯨母船が竣工した。
とはいえ、持続可能な捕鯨を続けていくためには、捕り過ぎは禁物だ。当面、クジラの捕獲は領海と排他的経済水域内(EEZ)に限定し、種の保全につとめている。他方で、日本のクジラ食文化をどう維持していくかが課題だ。
資源の持続可能性と、鯨食の文化継承を、精神性の観点から支えてきたのがクジラ供養である。クジラを水揚げする港の多くで、いにしえより続けられているクジラの弔いをレポートする。
戦前を代表する詩人、金子みすゞの作品に、「鯨法会」という作品がある。
鯨法会は春のくれ、
海に飛魚採れるころ。
浜のお寺で鳴る鐘が、
ゆれて水面をわたるとき、
村の漁師が羽織着て、
浜のお寺へいそぐとき、
沖で鯨の子がひとり、
その鳴る鐘をききながら、
死んだ父さま、母さまを、
こいし、こいしと泣いてます。
海のおもてを、鐘の音は、
海のどこまでひびくやら。
鯨法会とは、「クジラの法事」のことだ。みすゞは、日本海に面する山口県長門市仙崎という小さな漁村に生まれた。かの地は、かつて古式捕鯨漁の集落として賑わった。みすゞは20歳までをこの地で過ごした。彼女が幼少期を過ごした書店金子文英堂跡地には「金子みすゞ記念館」が建っており、大勢のファンが集う。みすゞの墓も仙崎地区にある。
詩には、捕獲されたクジラへの慈悲が表現されている。みすゞが生きた大正・昭和期には、仙崎ではすでに捕鯨は終わっていた。しかし、みすゞは毎春に執り行われる鯨法会の鐘の音を聞いていたようだ。
かつて、先人たちの生活を支える糧となったクジラに対して、いつまでも手を合わせ続ける村人の慈しみの心。若き詩人の感性は大いに揺さぶられたに違いない。