2024年は戦争拡大の年 背景にある「宗教」
この1年は、世界が戦争拡大への不安に包まれた年であった。イスラエルによるパレスチナ侵攻が続き、ウクライナ戦争は泥沼の様相を呈している。そこに宗教が密接に絡み合い、問題を複雑化させている。
本来、宗教とは平和や慈悲を希求するもの。進んで殺戮を仕掛けるような教えはない。だが、有史以来、宗教の名の下に戦争の惨禍が止むことはない。なぜ、宗教が戦争を引き起こすのか。その構造を解きほぐす必要がありそうだ。
宗教戦争の歴史は古くて、長い。
11世紀末以降に展開され、キリスト教勢力によるイスラム教の聖地エルサレム奪還を目的にした「十字軍の遠征」は有名だ。16世紀の宗教改革では、カトリックとプロテスタントが対立。キリスト教同士で大規模な宗教戦争に発展した。
日本国内の宗教対立の歴史
わが国に目を転じれば、6世紀の仏教導入をめぐる争いは、神道側が反発した図式である。この内戦こそ、わが国における、宗教戦争の最初であった。つまり、仏教受容をめぐる争いは宗教的な論争にとどまらず、政治的な権力闘争へと発展したのである。仏教を国教に取り込み、仏教の力で国を収めようとする権力に対し、古来からの神の世界を守ろうとする権力とが対峙した。最終的には587年の丁未の乱へと発展する。
丁未の乱では、朝廷における政治的な最高権力者である蘇我馬子と、祭祀の最高権力者の物部守屋が交戦した。聖徳太子(厩戸皇子)は蘇我勢に加わり、最終決戦の前夜に白膠木で四天王像を彫り上げ、「この戦いに勝った暁には、四天王を祀る寺を建てることをお約束します」と発願し、結果、蘇我氏が勝利した。あえなく物部氏は滅ぼされ、仏教がわが国に根を下ろした。
時はくだって17世紀の島原の乱でも、宗教戦争の様相を呈した。構造としては、幕府が日本人を皆仏教徒にする政策「寺請制度」を敷く中で、キリスト教の弾圧を目的にした戦いが繰り広げられた。結果は、幕府軍が勝利し、鎖国政策の強化とキリスト教の徹底排除へと舵を切っていく。