高倉健さん主演の空前の大ヒット映画『南極物語』のモデルになった樺太犬の兄弟タロとジロ。昭和33(1958)年、第2次越冬隊が荒天のため昭和基地まで行けず、15頭が置き去りにされたが、1年後、2頭だけが奇跡の生還を果たす。ジャーナリストで僧侶の鵜飼秀徳さんがその後に2頭がたどった生涯を紹介する――。
再会したタロとジロを抱き寄せる南極観測隊員
写真=時事通信フォト
1959年1月15日、再会したタロとジロを抱き寄せる南極観測隊員。2頭は前年1958年2月に第2次南極観測隊が越冬を断念した際、昭和基地に置き去りにされた15頭のうちの2頭(南極)

冷凍庫並…世界一寒い南極に置き去りにされたタロとジロの奇跡

警察犬に麻薬犬……近年、「職業犬」に注目が集まっているが、役割を終えた職業犬もいる。その例のひとつが、南極観測隊に同行した「南極犬」だ。本稿では、戦後間もない頃に南極から生還した「タロ」「ジロ」の姿を追いつつ、この兄弟犬の弔いに焦点を当ててみる。

職業犬とは、人間の能力では難しい局面で、役割を果たすよう訓練された犬のこと。今年の能登半島の地震や豪雨でも、災害救助犬が活動を続ける姿が目についた。犬たちは、その優れた能力と忠実な性格を活かし、私たちの生活をサポートし、社会に貢献しているのである。

例えば補助犬は、障がいのある人の日常生活をサポートする犬のことを指す。補助犬の中には盲導犬、聴導犬、介助犬などの種類がある。警察犬や災害救助犬、麻薬探知犬は卓越した嗅覚を生かし、犯人の追跡や生存者の救出、麻薬の密輸の発見などに貢献する。

古くは家畜の群れを誘導し、外敵から守る牧羊犬や、狩猟の時にハンターを補助する猟犬がいる。近年は、病院や高齢者施設で入居者の心を癒すセラピードッグの存在も注目を集めている。知能が高く、人間との協調性の優れた犬ならではの特性を活かした役割といえる。職業犬の存在は今後もますます、高まっていくことだろう。

ところが、時代の変化とともにその役割を終えた職業犬もいる。南極の観測隊に同行していた南極犬である。

わが国の南極犬の活動は、戦前の白瀬矗探検隊に同行したからことから始まる。国立極地研究所の資料によれば、戦後の南極観測隊の活動では1956(昭和31)年の第1次隊から犬ぞりを使用し始め、第7次隊で派遣されたブルとホセが最後の南極犬(ペットとして昭和基地に派遣)となっている。

だが、1991(平成3)年に発効した「環境保護に関する南極条約議定書」により、外来種である犬を南極に持ち込むことが禁止され、現在では雪上車などの機械が南極犬に取ってかわっている。

南極犬といえば、真っ先に思い出すのがタロとジロの兄弟犬ではないだろうか。タロとジロは1956(昭和31)年、稚内市で生まれた樺太犬の兄弟だ。2頭とも真っ黒い毛が特徴だが、ジロの前足の先だけが白い。

1956(昭和31)年11月。第1次南極越冬隊は22頭の樺太犬を連れて南極へ向かった。雪上車の緊急故障時に安全な移動手段として犬そりを使うためだ。だが1958(昭和33)年、天候悪化に見舞われ、第2次隊が昭和基地に辿り着くことができずに、南極で生まれた子犬と母犬は連れて帰るものの、それ以外の15頭は鎖につながれたまま、置き去りにされた。その1年後、再び南極にやってきた第3次越冬隊員によってタロとジロは生きたまま発見された。日本のみならず、世界中を驚かせた。

他の13頭は昭和基地で死亡、あるいは行方不明になっていた。彼らの物語は空前の大ヒットとなった映画『南極物語』(高倉健主演)をはじめ、多くの文学作品などでも広く知られている。だが、その弔いについては知らない人がほとんどだ。