捕鯨をめぐる議論は、擁護派と反対派の意見が平行線をたどっている。一橋大学大学院の赤嶺淳教授は「擁護派は捕鯨を『日本の文化だから』と主張し、反対派は存在しない『スーパーホエール』論を振りかざしている。交わらない捕鯨をめぐる議論には大事な視点が抜け落ちてしまっている」という。18年にわたり捕鯨現場を取材し『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)を書いたノンフィクションライターの山川徹さんが聞いた――。
捕鯨は「日本文化」ではない
――捕鯨論争でひんぱんに耳にするのが、捕鯨を容認する側の「捕鯨は日本文化だから継続すべき」と考え方です。
意外に感じる人が多いかもしれませんが、捕鯨が日本文化と語られるようになったのは、ここ30年程度です。
確かに、日本では江戸時代から捕鯨を続けていました。しかし捕鯨を行っていたのは、和歌山県の太地町や、千葉県房総半島南部、高知県、九州北部から山口県などのごく限られた地域でした。正確には、捕鯨や鯨食は、日本文化というよりも、地域文化、もしくは地場産業です。「全国民的な日本文化」とは決して言えません。
その意味では、江戸時代から捕鯨を続けてきた地域には、捕鯨や鯨食は伝統文化として根付いていると言えるでしょう。
では、戦中の中断を挟みながらも、1934年から2018年まで南極海に船団を送り込んで続けた母船式捕鯨は日本文化と言えるのか。
江戸時代から続いた古式捕鯨とは異なり、南極海での商業捕鯨は長く見積もっても90年ほどの歴史しかない経済行為です。あるいは32年続いた調査捕鯨は水産庁の主導で実施されました。日本沿岸で行われてきた捕鯨と南極海での大規模な母船式捕鯨を一緒にして、日本文化と語るにはムリがあるのではないでしょうか。