「もう一度やろう」
2002年のこと。花王でヘルスケア、スキンケア製品の開発担当をしていた大熊康資の上司が変わった。新しくやってきた夏坂真澄(のちに常務 現・啓明学園理事長)は着任してすぐ、大熊に話しかけた。
「大熊さん、うちのラインナップにハンドソープがないのはおかしい。やってみようよ」
大熊は「やる気のないやつ」と思われるリスクを承知したうえで、あえて反論した。
「夏坂さん、やってはみたんですよ。でも会社は過去3回、挑戦して、まったくダメだったんです。ハンドソープ市場はライオンの『キレイキレイ』がダントツです」
だが、夏坂は引かない。
「もう一度やろう。ダメだったら、やめる。まずはやってみようじゃないか」
花王は洗剤、シャンプー、ボディソープといったヘルスケア製品、化粧品などの総合メーカーで売上高は1兆5326億円(連結、2023年)。斯界の巨人だ。一方、ライオンは洗剤、石鹸、歯磨き、医薬品などを扱う優良企業で売上高は4028億円(連結、2023年)。
最大のライバル「キレイキレイ」に勝つために
2002年当時もふたつの企業の立ち位置は同様だった。だが、手洗い用ハンドソープに関してだけはイラスト入りボトルで知られる液体ハンドソープの「キレイキレイ」が市場の半分以上を占めていたのである。
夏坂は大熊に「視点を変えて開発しよう」と言った。
「ハンドソープを必要とするのは誰なのか。もう一度、考え直してみようよ」
大熊は5人のチームを集めて、ブレインストーミングをした。その結果、商品の方向性は決まらなかったが、子どもがいる家庭と幼稚園、保育園を訪問して徹底的にリサーチしようと決めた。消費者が手洗いをする現場と実態を見てから開発に入ることにしたのである。
ここで言うハンドソープとは固形石鹸(バーソープ)ではない、液体もしくは泡状のそれを言う。
もともと日本では固形石鹸が圧倒的だった。だが、1996年、堺市でO157による学童の集団食中毒事件が発生、3人の児童が亡くなった。以来、手洗いの励行が言われるようになり、ハンドソープが注目されるようになったのだった。
そして1997年、ライオンは液体ハンドソープの「キレイキレイ」を発売した。