「雨の中8時間立っているだけ」の仕事

二十五歳のとき、横浜にあった鉄鋼会社のドックで船舶火災があった。検査中の貨物船内でガスが爆発したんです。船を掃除する高齢の女性らが最下層に閉じ込められ、十人以上が亡くなる悲惨な大事故でした。

書いたように、わたしの初任地は川崎支局だったので、若手ですから、もちろん呼び出されて応援に行くわけです。一面の大きい記事になりました。その一面記事は、県警本部担当の先輩記者が書く。

わたしはなにをするのかというと、ドックに行き、警察が張った非常線のいちばん手前で、突っ立っているんです。

立っているだけ。あとはなにもしない。なぜそんなことをしてるのかというと、おそらく数時間後に現場検証が終わって遺族が出てくる、あるいは警察が出てくる。その場面を、新聞やテレビは絵に撮りたい。

それだけの大事故だから、東京本社から写真部が応援に来ている。カメラマンは、わたしよりずっと年上。だから、カメラマンのためにいちばんよい場所をとっておく。そこから動くなと。動いちゃうとほかの会社のやつ、読売新聞とか毎日新聞に場所をとられちゃうから。

わたしの周りも全員、若手でした。各社の新人記者が、非常線のいちばん手前で、ずっと立っているんです。二月。真冬です。準備もなにもしないで駆けつけたから、スーツだけ。コートも手袋もない。寒いし、雨も降ってきた。

そこに、ずっと立っているんです。8時間とか。

「人でなし」の仕事がおもしろいわけがない

ところで、わたしの母親も苦労していて、料理屋の仲居とか、年取ってからはビルの掃除もしてました。だから、ドックで船の掃除をしてるおばちゃんのことは、他人事じゃないです。

わたし自身が高校時代にはビル掃除をしていましたので、たいへんな労働なのは身にしみて分かる。火災に巻き込まれて、船の暗い最下層に閉じ込められ、逃げようとしても逃げ場がなく、怖かっただろう、苦しかっただろう。雨の中、ずっと立っているあいだ、想像して身につまされていました。

明け方、現場検証が早く終わって、家族が出てきたんです。わたしの周りは、一年生とか二年生の新人記者ばかり。お互いに顔を見合わせてるんだけど、しょうがない、ちょっと近づくじゃないですか。でも、メモを片手に、「すみません、いまのお気持ちは?」なんて、だれも言わなかったですよ。そんなのだれが言うか。

ただ、なんとなく、ちょっと近寄っていく。なんて声をかけていいか分からない。黙ってます。そして、一、二歩、近づいたら、家族の一人に「人でなし!」と叫ばれました。それだけ。なにひとつ、質問してないんですよ。近づいたら、人でなしと言われ、ひとことも発しないまま、引き返してきました。

また、非常線の最前列に立つ。みんな、黙っている。うつむいている。

肩が細雨さいうに濡れそぼつ。

〈仕事〉って、それですよ。わたしの新人のときの〈仕事〉って、それ。だれがおもしろいと思うんだ? おもしろいわけないじゃないですか、こんなもん。

やりがいを感じられる、世の中の役に立つ、おもしろい〈仕事〉がしたい? 学生、なに言ってんだ、ですよ。今朝、顔を洗ったか? 寝ぼけんな。おもしろい〈仕事〉なんか、世の中にあるわけねえだろ。あのときの自分だったら、そう言ってたかもしれません。

黒い傘をさし、明るい背景にスーツを着た髭を生やした男
写真=iStock.com/Dmitry Ageev
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