待つだけの仕事を「ちょっとだけまし」にした方法

基本的に「待つ」のが事件記者の仕事です。神奈川県の公団で贈収賄事件があって、収賄が疑われる幹部職員から話を取りたいと、自宅を調べ上げ、玄関の前にずっと立っている役を命じられた。やはり冬でした。

でも、そのときわたしは、フローベール『ボヴァリー夫人』の岩波文庫を持っていって、立ちながら読んでいたんです。若くて、目がよかったから、公園の薄暗い街灯で本を読めた。少し離れたところにある、職員の自宅玄関も見える。

だから、公園の街灯に行って、「ここなら大丈夫だろう」と、ずっと『ボヴァリー夫人』を読んでいました。大丈夫なわけねえだろ。不審者ですよ。

夕方になってきて、腹もすいて、仕方ない、子供たちが遊んでいたんで、男の子を呼び止めて千円札を渡し、「ちょっと僕、ごめん、これで何でもいいから食べる物、買ってきてくれないかな」ってお使いしてもらいました。戻ってきて「これ、お小遣い」と釣り銭を渡そうとしたら、走って逃げていったな。まあ、そりゃそうだ。

立ちながら菓子パン食って、そこで、また読み始めました。それが一週間くらい続いたかな。だから、わたしのエマ・ボヴァリーの記憶は、暗い街灯とカレーパン、クリームパンとともにある。

これ、おもしろい〈仕事〉ですか? これだっておもしろくはないですよ。だけど、ドックの船舶火災よりは、ちょっとましだ。『ボヴァリー夫人』を読んでたから。自分で工夫していたから。

旅行中に本を読んでいる男
写真=iStock.com/AJ_Watt
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工夫次第で仕事は「ちょっとでもおもしろくなる」

1989年、昭和天皇が病に倒れます。そのときは東京本社社会部に呼び出され、見張り番をさせられました。皇居や東宮御所の前で、黒塗りのハイヤーが出入りするのを監視して、社会部の当番記者に連絡するんです。病状の急変をいち早くつかもうっていうんでしょうけれど、あれ、なんの意味があったのかなあ? ないですよ。意味のない仕事。ブルシット・ジョブ。

年末年始で、あのときも寒かった。わたしは、だいぶ賢くなっていますから、アウトドア用のコンパクトな折りたたみいすと、頭に巻く登山用の小型ライトを買ってきた。ずっと本を読むために。

そのときはプルーストでした。失われた時代が過ぎ去るのを待ちながら。『ボヴァリー夫人』より、だいぶ快適になっていますね。座れるし、明るさも十分だし。

川崎支局で小うるさい先輩に小突き回されるより、ここで本を読んでいた方がずっと「おもしろい」。しばらく長引けばいいのになあ。それぐらい不謹慎なことは思っていましたね。

これじゃないですか? 登山用ライトとアウトドア用小型いす。

つまり、世界におもしろい〈仕事〉なんか、ないって話なんです。だから、工夫する。少しでいいから、快適にする。自分で、ちょっとはおもしろいと思えるように、変えていく。

Life is adjustment.

生きるとは、創意工夫のこと。気のもちようです。