好きな仕事だけして生きていける、わけがない

ところで、「おまえは大学出たあと、いまみたいに好きなことだけ書いて、楽しく働いてきたのか」という問題です。

そんなこと、できるわけないじゃないですか。そんな世界は、この宇宙のどこにもありません。甘くない。いや、いまだってじつは甘くないです。若いころとは別の苦労、というか、越えるべきハードルがある。目標がある。エンケン(遠藤賢司)さんの歌じゃないけど、「幾つになっても甘かあネェ!」です。

ただ、三十代終わりぐらいですか、東京本社のエレベーターで知り合いと乗り合わせると、「おまえはいいよな」とよく言われるようになりました。

新聞社ってみんな眉間にしわ寄せて難しい顔して歩いていて、笑っているやつなんていないんです。風水が悪いから、わたしはなるべく会社に寄りつかないようにしていた。行きたくないんだけど、用事もあるからたまには会社に顔を出さないといけない。それでエレベーターに知り合いがいると、必ず言われてました。

「おまえ、いいよな。いつも楽しそうだな」

それは、「おまえはいいよな。だけど、おれは大変なんだ」という話ですよね?「おれは仕事やってんだ。おまえはいつも、遊んでんだかなんだか分からない記事を書いて、チャラチャラした格好して」。そういう意味ですよね。本気で「おまえはいい」「おまえみたいになりたい」なんて思っていない。

「おまえはいいよな」と言われるのは勲章

で、わたしは「おれだって仕事やってんだ馬鹿野郎」なんて言い返しませんよ。そんなこと、絶対しない。

「おまえはいいよな」と言われて、「そうなんすよ。月末、銀行口座にカネが入ってきて、なんでなのか分かんないんですよ」と返してました。相手は、いやな顔をして苦笑い、それっきりです。

それは自分なりの反撃でもあったけれども、でも、「おまえはいいよな」って言われるのは勲章だと思ってました。だって、楽しそうなんでしょ? 楽しそうにプラプラして、自分の好きなことばかり書いているように“見える”んでしょ?

わたしもだんだん年をとって、四十歳を過ぎてくると、顔は怖いし、さすがにそういうことはなくなったんです。けれど、「おまえはいいよな」ではないが、「近藤さんはいいですよね」と言われるようになりました。ああ、同じか。同じですね。でもそれ、いまだに続いてますよ。

ただし、軽侮の調子は退潮して、羨望になりましたかね。「わたしも、いろいろおもしろい企画を持っているし、提案している。でも紙面に載らない。採用されないんです」と、後輩の記者から相談されるようになりました。「近藤さんはいいですよね、好きなこと書いて。それが載って」ということ。