※本稿は、キム・ヘナム著、渡辺麻土香訳『「大人」を開放する30歳からの心理学』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。
かつては年長者たちの知恵が下の世代の指針だった
私たちは加齢によって失うものと得るもの、どちらのほうが多いのだろう? まずは加齢によって失われていくものを考えてみよう。
若さ、ハリ、黒髪、体力、健康、情熱、性機能、記憶力、(死別に伴って)友人や配偶者、人生に残された時間……。
では逆に加齢によって増えるものには何があるだろう?
年齢、子孫、シワ、腹回りの肉、シミ、頑固さ、小言、激情、悔恨、捨てるべき家具や衣服、孤独感……。
加齢によって増えるものもたくさんあるが、その中でポジティブなものを挙げようとすると、ほとんどないように思う。
かつては年輪を重ねた年長者たちの知恵が、下の世代の人生において重要な指針になった。そのため若者は困難に直面すると必ず集落の長老を訪ねてアドバイスを求めたし、長老は日頃から敬われていた。
私たちが死の存在を認知してもなおこの世で生きていられるのは、自分たちが死んでも後世の人々をとおして自分たちの人生も続いていくという確信があるからだ。自分が蓄えた知恵は後世に受け継がれるだろうという確信は、個人の人生に一層の責任感を与える。過去から未来へと続く連続した時間の中に自分も属しているという感覚は、それだけ重要なものなのだ。
年長者は「若者たちの世界へ移り住んだ移民」なのか
とはいえ現代のように急速に変化する時代では、過去の知識はすぐに意味を成さなくなる。科学技術の飛躍的な発展が、前世代の知識を使いものにならなくしてしまうからだ。そのせいで年長者の考えは古くさいものとされ、誰からも耳を傾けられなくなる。
このように歴史的な連続感を失ってしまった人々にとって老いることは、若さや美しさ、名声のほか魅力を失って、役立たずに成り下がることを意味する。そのため人類学者マーガレット・ミードは30代以上の人々に対し、よくこう言っていたそうだ。
「私たちは皆、若者たちの世界へと移り住んだ移民だ」
移民たちが現地の人たちに交じって生き残るためには、かなりの労力が必要だ。だが悲しいことに年を取れば取るほど、新たなスキルを習得し、ついていくのは難しくなる。するとある瞬間にすっかり置いていかれて、ついていくことを諦めるようになる。その結果、いつしか老いることは死よりも恐ろしいものになるのだ。すると世間から向けられる否定的な視線に抗うエネルギーも楽天性も失ったまま、良い時期はとうに過ぎ去り、もはや悪いことしか待っていないような気がしてくる。それゆえ人は長生きしたがる一方で、老いることを望まないのだ。