怒りの感情は強烈だ。韓国の精神分析医キム・ヘナムさんは「チンギス・ハーンは怒りに任せて自分の命を救ってくれた鷹を殺してしまった。怒りが湧いた時には、その感情を認める一方ですぐに反応しないことが大切だ」という――。

※本稿は、キム・ヘナム著、渡辺麻土香訳『「大人」を開放する30歳からの心理学』(CCCメディアハウス)の一部を再編集したものです。

古代ローマの哲学者「セネカ」も怒りについて語っていた

古代ローマのストア派哲学の大家セネカは、著書『怒りについて』(兼利琢也訳、岩波書店)で「この情念のもたらす結果と害悪に目を向けると、人類にとってどんな悪疫も、これほど高くついたためしはない」と断言し、次のように語っている。

「激情のなすがまま、苦痛、武器、血、拷問を求め、一片の人間性もない欲望にたけり狂い、他者を害するまで己を忘れ果て、矢玉の注ぐ中へ突進する。復讐に燃え、復讐者自身、もろともに引き倒さずにはおかない。(中略)狂気も同様に、己を抑えられず、体面を忘れ、係累けいるいに思いを馳せず、着手したことに意固地に固執し、理性にも助言にも耳を閉ざし、些細な理由に激しては正義も真理も見分けず、瓦礫がれきの崩壊にさも似て、砕け落ちては押しつぶしたものの上に飛散する」

「怒る」と「怒りをあらわにする」は別物

セネカはそういう理由から、日常生活の中で怒りの解消法を習得することの重要性を主張した。幸い大抵の人たちは、怒りを放出したばかりに相手のみならず自分まで壊れてしまうという最悪の結末を望まないため、できるかぎり怒らないように努める。

拳を握るスーツの男性
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なお、「怒る」ことと「怒りをあらわにする」ことは別物だ。怒りは極めて自然なもので、制御不能な感情である。反面、怒りを抑えるか相手にぶつけるかの選択は、100%私たちに委ねられている。とはいえ、その選択は決して容易ではない。なぜなら、ある人は怒りを抑えこみ過ぎて、またある人は怒りをぶちまけ過ぎて問題を起こしてしまうからだ。そのため古代の哲学者アリストテレスは、「誰でも怒ることはできる。それはたやすい。だが、適切な相手に、適切な度合いで、適切な時に、適切な目的のため、適切な怒り方をすることは、たやすいことではない」と言っている。

怒りが湧いた時は「すぐに反応しない」

1.怒りが湧いた時は数をかぞえるべし

怒りが湧いた時は、その感情を認める一方ですぐに反応しないことが重要だ。怒りが制御不能になると、興奮して理性を失ってしまう。すると余計なことを口走り、振り返った時に必ず後悔する。なぜなら怒りの表出は、相手の最も痛いところを突くことを目的としているからだ。ゆえに怒りがこみ上げた時は、ひとまず心の中で1から10まで数えよう。数をかぞえているうちに多少は興奮が静まって、湧き上がる怒りで失いかけていた理性も戻ってくるはずだから。そうなれば後悔するような言動は未然に防ぐことができる。

それでも腹が立ってどうにもならない時は、アメリカの第3代大統領トーマス・ジェファーソンの言葉を思い出すことだ。「腹が立ったら10まで数えろ。べらぼうに腹が立ったら100まで数えろ」