ロシアのプーチン大統領は、なぜワグネル創設者のプリゴジン氏をすぐに殺さなかったのだろうか。国際政治学者の舛添要一さんは「プーチンは部下を排除するときに、反旗をひるがえさないよう細心の注意をはらう。『窮鼠は猫を噛む』ということを、貧しい生い立ちを通じて学んだのだろう」という――。
※本稿は、舛添要一『プーチンの復讐と第三次世界大戦序曲』(集英社インターナショナル)の一部を再編集したものです。
「怪僧ラスプーチン」ともゆかりの祖父
ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンは、1952年10月7日、ソ連邦のレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で生まれた。
プーチンが誕生したのは、約30年にわたってソ連邦を支配してきた独裁者、スターリンの治世の末期である。
スターリンは、プーチンが生まれた5カ月後の1953年3月5日に死去している。
その半世紀後に、この男がスターリンの後継者たるべくロシアの最高権力の座に昇りつめるとは、誰も予想できなかったであろう。
プーチンの父方の祖父、スピリドン・イワノヴィチ・プーチン(1879年12月~1965年3月)はプロの料理人で、ペトログラード(現・サンクトペテルブルク)の高級ホテル「アストリア」の料理長を務めた。
帝政ロシアで、怪僧ラスプーチンにも料理を出していたという。
そして、革命後には、レーニンやスターリンのためにも料理を作っていたそうである。
傷痍軍人の父、雑役婦の母
父親はウラジーミル・スピリドノヴィチ・プーチン(1911年2月~99年8月)で、無神論者の共産党員であった。彼は第2次世界大戦中に戦闘で傷痍軍人となり、戦後は機械技師としてレニングラードの鉄道車両工場に勤務した。
母親はマリア・イワーノヴナ・シェロモーワ(1911年10月~98年7月)でロシア正教を深く信仰していた。
雑役婦として仕事に励み、貧しい家計を助けた。