兄2人は幼くして死亡
プーチンは両親の第3子として生まれたが、兄2人は幼くして死亡している。
長男オレグは生まれてすぐ死んだし、次男のビクトルはナチスに封鎖されたレニングラードから疎開した先で、ジフテリアにかかり、5歳で亡くなっている。
この2人の兄が死んだ後、戦後になって、マリアは41歳の高齢でプーチンを産む。
それだけに、母マリアはこの息子を溺愛するのである。
20平方メートルの貧しい共同住宅で、ネズミをいじめて遊んだ
貧しい家庭で育ったことは、プーチンに上昇志向、権力志向を与える要因となったと考えられる。
レニングラードの住居は共同住宅で、20平方メートルの広さしかなく、台所もトイレも共用で、浴室はなく銭湯通いだった。
子ども時代のプーチンは壁の穴に棲むネズミをいじめて遊んだが、追い詰められたネズミが最後に「自分に向かってきた。私は驚き、怖かった。ネズミは私を追いかけた」と、自伝(Nataliya Gevorkyan, Natalya Timakova, Andrei Kolesnikov, “First Person:An Astonishingly Frank Self-Portrait by Russia’s President Vladimir Putin”, PublicAffairs, 2000 邦訳版『プーチン、自らを語る』〈扶桑社、2000年〉は品切れなので、入手が容易な英語版から引用する。翻訳は筆者による)で述懐している。
木村汎は、このときの経験が、後に権力の座に就いたプーチンの人事政策に活かされているという。
「窮鼠猫を噛む」の教訓である。
「気に入らない部下を排除するときにも、かれらを直ちに罷免しようとしない。
まず、かれらの馘を斬るチャンスの到来を辛抱強く待つ。
しかも、ポジションを完全には剥奪しない。むしろ、かれらの地位を徐々に降格させてゆく。
その間に代替ポストすら用意してやる。
こういう慎重かつ複雑な手続きや方法を講ずることによって、降格された者がプーチンに恨みをいだくあまりに、反旗をひるがえす気持ちにならないように細心の注意をはらう」(木村汎『プーチン 人間的考察』藤原書店、2015年。97p)