小学校でいじめ、得た教訓は「強い者が勝つ」
プーチンは小学校に入っても、成績は悪く、不良少年であった。
通りでよく喧嘩をしていたが、身体が小さいので、いじめられることが多かった。そのときの教訓は「強い者が勝つ」、そして「最後まで戦うべきだ」ということであった。
プーチン少年は、小柄な身体の自分の弱さを克服しようとして、初めはサンボ、その後は柔道を習ったのである。
それは、13歳の頃(1965年)であるが、その頃には学校の成績も上がりはじめた。
ソ連のスパイ「ゾルゲ」に憧れてKGBに
プーチン少年は戦前の日本で活躍したソ連のスパイ、リヒャルト・ゾルゲを題材にした映画などを見て、スパイに憧れ、KGBに就職しようと思った。
プーチンの父親は独ソ戦のときに、秘密警察の一員として戦場で活躍している。
そのことも、KGBに対して親近感を持たせたのであろうが、ソ連邦で絶大な権力を誇るこの組織のメンバーとなることで、自分も強力な支えを得ることができると考えたようである。
そこで、中学校の最終学年(9年生)、16歳のとき(1968年)に、直接KGBのレニングラード支部に行き、就職の相談をする。
相手をしてくれた係官は、ここに就職相談に来たことは他言しないことを約束させ、まずは大学に入って、法律や外国語の勉強をするように勧めたのである。
プーチンは猛勉強して、1970年に、難関のレニングラード国立大学法学部に合格する。
法学部では国際法を専攻し、1975年に卒業し、念願のKGBに就職している。そのときに、就職の条件となっていたソ連共産党への入党も果たしている。