「ふたりの部下」と「ふたりの子ども」に学んだ

対照的なふたりの部下を持った経験と、まったく性格の異なるふたりの子どもを育てた経験が重なり合って、私はひとつの気づきを得たように思います。同じ親からこんなに違う子どもが生まれてくるのだから、親も違い、バックグラウンドも違う部下が、「違う」のは当たり前のことなのだと。なのに私は、「ここまでできなければ合格とは言えない」と一律に線を引いて、口うるさく指導していたのです。

このことに気づいて以来、私は大変身したと思います。部下との向き合い方も大きく変わったと思いますし、私自身の仕事のやり方も大きく変えました。

それまでは、A君もB君も同じレベルの仕事ができるように厳しく指導してきたわけですが、大変身以降は、たとえばA君は○○が得意、B君は××が得意ならば、A君とB君を組み合わせて仕事をさせればいい、自分がカバーできるところはカバーすればいいと考えるようになりました。いいところは伸ばして、欠点は補い合うようにすればいいではないかと。

成長することは「欠点がなくなること」ではない

私自身も、自分はこれが不得意だから助けてもらえないかと、周囲に自然に頼めるようになりました。もし、ひとりきりでパーフェクトに仕事ができなければならないと思っていたら、私はおそらく「次官になれ」と打診されたとき「私には無理です」と返事をしていたと思います。

「成長することは欠点がなくなることではない」という
「成長することは欠点がなくなることではない」という(撮影=今村拓馬)

ふたりの部下とふたりの子どもを通して、パーフェクトにならなくてもいいんだということを実感し、欠点を補い合う仕事のやり方を身につけたからこそ、おそらく次官という重責を怖いと思いつつも、勇気を出して引き受けることができたのだと思います。

成長するって、よく言いますよね。私は成長するって、欠点がなくなることではないと思うのです。自分の欠点を自覚することによって、失敗を予防したり、失敗の埋め合わせができるようになること。それが成長ではないでしょうか。

欠点って、一種のキャラですよね。それを完全に無くしてしまうことなんて、人間にはできません。優れた人に近づこうとするのではなく、私は私というタイプを作り上げていけばいいんだと思うと、ずいぶん気持ちが楽になりますよね。