【連載 #私の失敗談 第10回】どんな人にも失敗はある。U-NEXT HOLDINGS(※)の宇野康秀社長は「リーマンショック直前の経営判断によって、経営者人生の10年分はロスをした。それでも今は、あれで良かったのかもしれないと思う」という――。(聞き手・構成=ライター・小泉なつみ)

※4月1日より商号を株式会社USEN-NEXT HOLDINGSから株式会社U-NEXT HOLDINGSへ変更

USEN-NEXT HOLDINGSの宇野康秀社長
撮影=今村拓馬
U-NEXT HOLDINGS(※)の宇野康秀社長

失敗も思い浮かばないが、成功したという思いもない

小さい時から学生時代で考えると、大きな失敗として思い浮かぶエピソードがなくて。逆に言えば、自分が成功したという思いもないんです。

私の生まれは大阪で、小学生の時から実業家を目指していました。「あそこの商売は~」といった会話が日常的に飛び交うような商人の町だったこともあり、自分で事業を興して食べていくことは自然なことだと思っていました。高校生の時は、松下幸之助や盛田昭夫、本田宗一郎といった日本を代表する経営者の本を読み漁り、いつか自分も世界に通用する企業を作るんだ、と思い続けて昨年、60歳になりました。

父が今の私と同じ年の頃、「あと何年やれるかな」と話していたんです。父は、USENの前身である大阪有線放送社を興した起業家でした。家庭を大事にしない人だったので、「父のようにはなりたくない」と思っていましたし、25歳で立ち上げた人材派遣会社・インテリジェンスの上場が見えていたこともあって、事業を継ぐ気はまったくなかったのですが、その父が63歳で亡くなってしまって。最終的には、自分がランドセルを背負って小学校に行き、大学まで卒業できたのも父の事業や、そこで働いてくれた人たちのおかげだと思い、35歳で大阪有線放送社の社長になりました。

「経営者人生の10年分はロスをした」リーマン直前の舵取り

経営者になってから、あれは失敗だったかもしれない、と思うことで言えば、リーマンショック直前の舵取りでしょう。その時の判断によって、経営者人生の10年分はロスをしたと思います。

当時の私には、焦りがありました。ITバブルにわいていた2000年前後、業界のベンチャー企業はM&Aを繰り返すことで時価総額を引き上げる経営手法で躍進していました。インテリジェンス出身の藤田晋さんが立ち上げ、私も役員を務めていたサイバーエージェントは当時赤字でしたが、時価総額は約1000億円でした。他にも、ソフトバンクや楽天、オン・ザ・エッヂ(後のライブドア)など、交流のあったIT企業のスピード感を間近で体感し、「自分もこの波に乗らなければ後れをとってしまう」と、焦燥感でいっぱいだったんです。

そうして時代の波に乗るようにして、大阪有線放送社から有線ブロードネットワークス、USENと社名変更し大型のM&Aを繰り返しました。自ら作ったインテリジェンスと学生援護会も買い取ったのですが、買収額は合わせて約500億円。感覚値よりだいぶ高いとは思ったものの、市場がヒートアップしていたのでしょう。ITバブルのシンボルだった六本木ヒルズにかこつけ、“ヒルズ族の兄貴分”とメディアに書かれたこともありました。実際には住んだこともないのに、なぜそんな風に書かれたのか、いまだによくわかりません(笑)。そもそも、今の若い人に“ヒルズ族”と言ってもピンとこないでしょうね。