テレビ局が、原作マンガを原作通りにドラマ化できない理由
前回、私は「今回の“不幸な”事件がなぜ起こってしまったのか」という原因として、①「ドラマ偏重主義」からくる「ドラマ多産化現象」と②コミュニケーションの断絶を挙げた。その後、大きな反響と意見や質問を皆さんからいただいた。
私のHPには、「なぜ脚本を先に作ってから制作に入らないのか? それの方が安全だし、もめることもないのでは?」という質問コメントも寄せられた。書き足りないことがずいぶんあったなぁと反省しきりだった。
したがって、今回はさらに深くこの問題を掘り下げ、抜本的な原因を探ってみようと思う。今回の“不幸な”事件は決して突発的なものではない。テレビの構造的な欠陥に起因していると私は分析している。そして、それをよく理解し改善してゆかないと、また同じような“不幸な”事件は起こってしまうと危惧している。
したがって、今回は私が経験したことを含め、なるべく具体的な事例を挙げて、わかりやすく説明してゆきたい。
だからテレビが原作に改変を強いる
まず、この場ではっきりと言っておきたい。「原作モノ」ドラマを原作通りに映像化するのは、いまの日本のテレビでは無理だ。それが、「テレビが原作に改変を強いる」最大の理由である。
では、なぜ「原作モノ」を原作通りに映像化するのはいまの日本のテレビでは無理なのか?
本稿ではその理由を徹底的に突き詰めてゆくことで、テレビの構造的な欠陥を浮き彫りにする。その際に視点となるのは、以下の3つである。
①プロデューサーの責任論……プロデューサーは何をしていたのか?
②前回提案した「オリジナルを増やす」ことしか、打開策はないのか?
③リスクマネージメントや想像力の欠如……これは、社会全体やほかの業界にも共通する
最初に、ドラマの原作となる小説やマンガの作者である「原作者」には、以下の2つのタイプがあることを押さえておきたい。
①「お任せします」タイプ
②「チェックさせてください」タイプ
①の「お任せします」タイプは、「どうぞ、ご自由に改変していただいて結構です」と述べる作者である。この場合には、制作者は登場人物の設定やストーリーを都合よく変えることができるし、脚本家は自由にシナリオ化することもできる。②の「チェックさせてください」タイプの場合はその逆だ。これら①と②の間には段階があって、「基本的にはお任せしますが、最後のチェックはさせてください」と言われるケースなどさまざまだ。