これら2つが同時に備わっていれば、「もしネットで見つけた図案を許可なく使ってしまったら、ヤバいことになる」と想像し、「ヤバいこと=リスク」を避けようとする。

以上のように、想像力とリスクマネージメント能力はワンセットで稼働させる必要があるため、常に一緒に養ってゆくことが必須となる。今回の「セクシー田中さん」の事件では、この2つが欠けていた、もしくはそこまで気がまわる余裕がなかったと思われるからだ。

SNS時代だからこそ「原作モノ」のハードルは高い

最後に、番組制作における「ネットの功罪」について言及しておきたい。今回の“不幸な”事件には、ネットの影響も大きく関わっていると考えるからだ。このテーマについて私たち一人ひとりがよく考えてゆかないと、同じような“不幸な”事件は繰り返されると警鐘を鳴らしたい。

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写真=iStock.com/Urupong
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ネットの「功」は、視聴者が思ったことを発信でき、作り手もそれを気にしながら作品作りをすることができることだ。すなわち、「双方向」に近い形で番組制作を進めることができる。しかし、そこには高度な「コミュニケーション能力」や「リテラシー」が必要になる。

対して「罪」だが、今回で言えば、周りがこんなにSNSなどで騒がなければ、テレビ局側と原作者側の両者で話し合いをして「次回は気をつけましょう」で終わったはずだ。原作者も作り手もあれだけファンや視聴者が騒げば「不安」になる。その不安をかき立てすぎた可能性があるのではないだろうか。

しかし、ここまでネットが発達している社会において、「騒ぐな。黙っておこう」と言うのは無理があるし、それはかえって火に油を注ぐことになる。「誉める人」がいれば「けなす人」も出てくるのがいまの世の中だ。そういったネット社会という環境も、私が「原作をドラマ化してゆくのはかなりハードルが高い」と述べる理由となっている。

テレビの「自分よがり」と「自己中心的」な性癖

日本テレビはいまだにダンマリを決め込んでいる。最初の公式見解で日テレは芦原氏に「感謝している」と述べた。これでは、別れを告げる相手に恨まれないように「これまでありがとう」と言うようなものだ。保身でしかない。

こういった、都合悪いことは隠し、他者の危機感ばかりを煽ろうとするテレビの「自分よがり」「自己中心的」な性癖が、今回の事件を引き起こしたと言ってもよい。そんなことより、しっかりと調査をして、世間に対して時系列で「どんな経緯があって、こうなってしまったのか」を説明したほうがいい。

その方がよっぽど芦原氏に感謝の気持ちを示し、冥福を祈ることになるのではないだろうか。

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