芦原氏はブログで「最終的に私が10月のドラマ化に同意させて頂いたのは6月上旬でした」と述べているが、10月クール放送のドラマにおいて、「原作者との合意が4カ月前」というのは通常あり得ないタイミングである。しかも、芦原氏は何度もクレームや要望を出していた。そういった「危機的状況」であるにもかかわらず、局はなぜプロデューサー3人体制で制作を進めたのか?

私の過去の経験からすれば、これくらいの規模のレギュラードラマであれば、CPを除いて(CPは全体を俯瞰で見ていなければならない立場のため)、最低でも局Pが2人、プロダクションPが2人は必要だ。だとすれば、半分の戦力で膨大な作業と原作者、脚本家を含むスタッフケアをしようとしたことになる。それはどう考えても「無理だ」と言わざるを得ない。

「4つの壁」を越えられないから、深刻な問題が起きる

現在、ドラマ制作現場で完璧な遂行を求められる上記の4点に関しては、以下の問題点を指摘したい。

まず、①の「コンプライアンス対策」だが、年々、制作者のコンプライアンスが劣化している。ドラマの撮影の際に、居酒屋でのシーンを撮るために制作陣がある店にロケハンに行った。芝居場となる背景がさみしいとのことで、監督が「何かポスターのようなものをここに貼って」と要請した。「わかりました」と助監督は答え、美術にポスターを発注した。撮影を終え、放送は無事にすんだ。と思っていたら、ある日突然、視聴者から局に電話がかかってきた。聞けば、そのドラマで使われたポスターの図柄が自分の作り出したキャラクターそっくりだというのである。

美術に確認したところ、助監督が持ってきた図案通りに作っただけで何がどうなっているかまったくわからないという。助監督に聞いてみると、サイトを見ていたらちょうどよさげなデザインがあったのでそれをプリントアウトして美術に渡したが、そのときに「くれぐれも著作権に引っかからないようにお願いします」と何度も念押ししたはずだの一点張りだった。

この事件は制作陣のコミュニケーション不足に端を発しているが、私がもっとも罪が深いと考えるのが、プロデューサーである。プロデューサーは「最後のチェック機関」だ。上記に挙げたようなことをすべて気づいて排除してゆくのがプロデューサーの仕事なのである。

旧態依然のテレビが「原作軽視」を招く

②の「タイトル」に関しては、やっていることがまったく時代に合っていない。マンガ原作の場合には、タイトルを変更するケースが少ない。「これはなぜか」を考えてみれば、現状の作業がどんなに時代錯誤かがわかる。マンガ原作はその認知度に寄与する度合いが多いため、タイトルを変えてしまうと視聴者がその作品だと気がつかないなどの「不利益」が生じるからだ。

同じように、いまのネット社会においては、タイトルも知らないものであればすぐに検索をしたりして調べるため、「わかりにくい」という論理は通用しない。原作のタイトルを変えてしまうことによって、逆に検索してもヒットしないという矛盾に陥ってしまう。

③の「ドラマ『3つの要素』」も、考え方がすでに古い。これだけ多様化が叫ばれる時代に、ステレオタイプの要素を重要視しているから、どのドラマも同じようなストーリーや展開になるのだ。配信などでは一時期、BLドラマが流行ったが、私はこういった「単一ジャンル」に特化したドラマが今後は増えると予測している。