入社2年目にタイ工場に日本人幹部として赴いたとき、意気込んであれこれ指示したが、現地スタッフは動いてくれなかった。私が自分の考えばかり押しつけていたからだ。現地スタッフにしてみれば、自分の声を尊重してくれない上司には従えないということだろう。その苦い経験を機に、人を動かしたいならまず相手の話を聞くことから、と考えるようになった。

1992年、子会社社長として再びタイに送り込まれた私は、本社に第二工場の建設を要求した。当時は円高の影響で業績が厳しく、「一国一工場」が原則だっただけに、無謀な提案ともいえた。