※本稿は、加藤俊徳『一生成長する大人脳』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
「感情」というパンドラの箱を開けない現代人
・人との間にある一定程度の距離感を保ち、相手の感情には立ち入らない。
・相手の存在をリスペクトしすぎて、畏れながらコミュニケーションをとる。
・自分の感情をあらわにせず、相手の感情にも触れないように気をつかう。
そんな、「感情」という名のパンドラの箱を一度も開けることなく育っている人が増えているように思います。
昭和の初めごろ、私の親の世代などは、結婚式のときに初めて相手の顔を見た、なんてことが珍しくありませんでした。(それがいいか悪いかは別にして)相手の感情がわからなくても、人間は一緒に住んだり、結婚したり、性的関係をもったりすることはできるものです。
生活をともにしながら、徐々に「感情」という名のパンドラの箱を開けていったのだと思いますが、今ではありえないことでしょう。
共同生活能力が非常に落ちていて、それは未婚率の上昇や少子化とも無関係ではないように思います。
コミュニティが失われると、脳のある部分が衰える
核家族社会といわれて久しいですが、田舎のムラ社会の濃密な人間関係は疎まれる傾向にあります。都会では親戚はもはや他人。せいぜい、やりとりをするのは親や兄弟姉妹ぐらい。一つ屋根の下に暮らしながらも、様子をうかがいながら過ごしているといった家庭もあるでしょう。家族も含め、コミュニティがとても脆弱になっているように感じます。
また、会社も終身雇用ではなくなり、上司が生意気な部下の成長を見守る、なんてことはなく、部下のほうも「自分のほうがITスキルは高い」と自負したりして、上下関係が成立しなくなっています。
多様性が叫ばれ、個人の特性を尊重する傾向は強まっていくでしょう。それ自体は否定すべきことではありません。そもそも、脳は極めて個性的で多様なものです。しかし、いきすぎた個人主義の果てにコミュニティが弱体化していくことへの危機感があります。それは何かというと、感情を育てたり矯正したりする機会の喪失――「感情系脳番地」の衰えです。