虐待は「母なりの愛情表現」

当時の琴音は「自分が悪い」と思い込んでいた。やりたい習い事はすべてやらせてくれたり、お弁当には琴音の好きな食べ物をいっぱい詰め込んでくれたりしたからなのか、虐待を母なりの愛情表現として受け止めていた。

虐待は止んだが、母なりの庇護意識からなのか、その後もママ友たちへの復讐心を元にした過剰なまでの教育は続いた。娘が立派に育っている。なら、もっとキツい指導を与えよう。おかげでリストカットしたり、不登校にもなったけど、そんなのよくあることだし、家庭教師をつけてテストだけ受ければ問題なし。私の教育方針は間違ってないはずだ。

事実、再び登校し始めた中学時代の琴音の成績は常にトップクラスで、高校では生徒会長にもなった。

ハイジア・大久保公園周辺で客待ちする日本人立ちんぼ(2022年6月撮影)(写真=『ルポ 新宿歌舞伎町 路上売春』より)
ハイジア・大久保公園周辺で客待ちする日本人立ちんぼ(2022年6月撮影)(写真=『ルポ 新宿歌舞伎町 路上売春』より)

有名私立芸大に合格、舞台女優を目指す

琴音は琴音で悲しませまいとして必死に母の期待に応えたのである。結果として、琴音は晴れて、母も自分も望んだ有名私立芸大に合格する。

振り返れば、琴音がゆくゆくは舞台女優を目指すと決めたのは、中2の夏のことだ。演劇好きの母の誘いで帝国劇場でミュージカル鑑賞をしたことで、見事にハマったのである。

高校生になると、自ら行動を起こして小劇団で汗を流すようにもなった。

「憧れていた女優は?」と聞くと、母の毒親ぶりを語るときとは違い、「余貴美子。そんなに綺麗じゃないのに舞台や映画に引っ張りだこだったから、私にもできると思って」と、琴音は夢に向かって邁進していた当時の自分を重ねて、このときだけは声を弾ませた。