2023年5月14日、ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長が顔を出し謝罪動画を公開した。先代社長であり叔父である故・ジャニー喜多川によるタレントへの性加害を認めはしなかったが、これまでは動かなかった山が動いた。ジャニーズタレントのインタビューなどを多く手掛けてきたライターの村瀬まりもさんは「フォーリーブスの北公次に始まり、タレントによる告発は35年前からいくつかあった。それなのに性加害疑惑を追求、報道してこなかったわれわれメディアの責任は重い」という――。
1988年に出版された『光GENJIへ~元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)、表紙写真左から2人目が北公次氏。
撮影=プレジデントオンライン編集部
1988年に出版された『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)、表紙写真左から2人目が北公次氏。

1988年に実名で出版された最初の告発本の内容とは

「少年愛にとりつかれた男が経営するジャニーズ事務所にいるアイドルたちよ、おれの二の舞にだけはなってくれるな」

これは1988年に出版された『光GENJIへ 元フォーリーブス北公次の禁断の半生記』(データハウス)の一節である。ジャニーズ事務所の創業者にして初代社長・ジャニー喜多川(1931~2019年)に性的行為を強要されたという元所属タレントの告発が相次ぐ現在、筆者が仕事のフィールドとするエンターテインメント業界、また、テレビや新聞や出版の報道は、「なぜこの異常とも言える状態を変えられなかったのか」と責任を問われている。その検証を始めるためにも、35年前に初めて実名(北公次はタレント名で本名は松下公次)で勇気ある告発をしたこの本を読んでみた。

フォーリーブスは1967年に結成され1978年まで活動した男性4人のアイドルグループ(後に2002年再結成)。1970年から7年連続でNHK紅白歌合戦に出場し、昭和の歌謡界華やかなりし頃、10年以上も高い人気をキープした。「にっちもさっちも……」のフレーズで有名な『ブルドッグ』や『踊り子』など38枚のシングルレコードを出した。

5月14日、ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長が顔を出し謝罪動画を公開
5月14日、ジャニーズ事務所の藤島ジュリー景子社長が顔を出し謝罪動画を公開(キャプチャ画面=ジャニーズ事務所公式サイトより)

若かりし頃のジャニー喜多川はハンサムな青年だった

ジャニー喜多川とその姉・メリー喜多川(1927~2021年)がマネジメントした最初のグループであるジャニーズ(あおい輝彦らがメンバー)の解散後、その跡を継ぐように売り出されたのがフォーリーブスだ。和歌山の漁村で生まれ育った北公次もジャニーズにあこがれて上京し、東京オリンピックが開催された1964年、ジャニーズが出る音楽イベントの会場でジャニーと出会ったという。

そのときの様子を北は「舞台そで」にいた「ハンサムな青年」に声をかけられたと綴っている。それが当時33歳前後のジャニー喜多川だった。高校へは進まず、16歳にして無職だった北は、彼に拾われた形で四谷にある「お茶漬け屋の二階」に住まわせてもらうことに。しかし、まったく予想していなかったことに、それから4年半もジャニーと性的な関係を続けることになったと記している。