バブル期の日本人はゴーマンだった

ちょっと目端の利く外国人であれば、日本がもはや凋落国であることを把握しつつも、まだ多少のカネは持っていて、文化度もそれなりに高く、アジア唯一のG7国としてささやかな影響力も残していることを理解している。「ま、当座は日本のことをホメておくか。そうすれば、まだまだカネが搾り取れるだろうし、何かしらのリターンだって得られる可能性はあるかも」──そう考えて、要領よく立ち回っている外国人も多いに違いない。

とはいえ、成長力や勢いといった点では、日本はいまや完全にシンガポールやマレーシアに抜かれている。GDPの順位も中国に負けて、3位だ。2023年はドイツにも抜かれて4位に落ちる可能性もあるという。こと電子産業やIT分野では、中国、韓国、台湾といった東アジアの国々に追い越され、挽回の気配すらない。世界における競争力も、存在感も衰えるばかりの斜陽国家──それが現在の日本なのだ。「衰退途上国」とも評される状況だというのに、外国人からおだてられて「よかった、まだ日本は“いい国”だと思ってもらえているようだ」と安堵あんどしている場合ではない。

バブル期の日本は、よくも悪くもゴーマンだった。当時アメリカにいた私は、日本人駐在員が「アメリカ人は仕事が終わってないのに定時に帰るし、仕事ぶりも雑だ」と見下しているさまを不快に思ったものだ。また、ソニーの盛田昭夫氏と石原慎太郎氏の共著『「NO」と言える日本』という本を読んで「もう少し謙虚になれよ、ジイさん……」と呆れたことを、ハッキリ記憶している。

凋落国に成り下がった日本の情けなさ

しかし時は過ぎて、日本の立ち位置は変わった。日本という国、そして日本人は、実に卑屈になってしまった。極論を承知で述べるが、日本人はバブル期のゴーマンさを思い出さなければならない。当時の盛田氏や石原氏のようなゴーマンさの半分でもいいから、日本人は持つべきなのだ。

超少子高齢化社会となった日本において、コロナ対策では完膚なきまでに若者が潰され、老人ばかりが優遇された。2022年には、年間の出生数が80万人を割り込み、過去最低の79万9728人を記録(厚労省が今年2月末に発表した、人口動態統計の速報値)。いまの日本には、明るい未来を予見できるような材料がなかなか見つけられない。

だが、世界有数の交通・エネルギーインフラは整っているわけで、まだまだ負けるだけの弱小国ではないはずだ。

それなのに、この3年間のコロナバカ騒動で日本は完全に世界の潮流から立ち遅れた。他国に比べて被害が軽微だったにもかかわらず、他人の目や世間の空気ばかり気にする臆病で愚かな国民性がアダになったのだ。マスクの常時着用を半ば強制し、あらゆることを自粛し、世界一のワクチンブースター接種国にもなった。

新型コロナウイルスワクチン
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振り返ってみれば、政府が最初の緊急事態宣言を発出した2020年4月7日、東京の新規陽性者数は87人だった。その程度でも、人々はツイッターで「#緊急事態宣言を発出してください」と懇願した。いまとなっては“セルフ経済制裁”としか思えない。そして現在に至っても、世界が脱ワクチンの動きを加速させるなか、高齢者などに対して6回目、7回目のワクチン接種を推進しようとしている。

挙げ句の果てには、新興製薬会社モデルナの工場を日本に建設しようとする動きすら見せている。建設にあたり、政府はワクチン購入の最低ラインをモデルナに約束したうえで、計画を進めることになるのだという。GHQに好き放題やらせ、自虐史観が日本人に徹底的に植え付けられた戦後。それがいまだに続いているかよ! 情けないこと、このうえない。