日本社会を支配する「空気」に目を向ける
日本では法律や条例ではなく「空気」こそが重要視される。新型コロナ騒動において、「マスクは任意」「マスクは屋外では不要」であっても常時着用の「空気」が存在したため、新型コロナ騒動開始から4年目の2023年1月の今も、人々は他人の目を気にしてマスクを着用し続けている。
他国は「罰則」「義務化」「ルール」により人々を統制するが、日本は法律でもなんでもない「空気」が人々を統制する。そしてタチが悪いのが、「政府も自治体も強制していないというのに、『空気』を読んだ末端の施設や組織が、マスク着用を『お願い』(事実上の強制)する」といった流れだ。こうなると、誰も強制していないものだから、終わらせ時がわからないのである。
というか、為政者たちも「お前らが勝手に着け続けているのだから、われわれに外すタイミングを言わせないでもらえないかなぁ……」と考え、判断を先送りしてきたフシがある。たとえば2020年3月31日の国会審議の写真を見ると、役人は装着している者が見られるが、国会議員の多くはしていない。しかし4月1日になった途端、議員もマスクをし始めた。国民が「規範を見せろ!」とキレたからである。要は、日和見ということだ。
「空気」を生み出す3つの価値観
コロナに限らず、日本では「空気」がさまざまな行動を規定する。1977年に刊行され、ベストセラーとなった名著『「空気」の研究』で、著者の評論家・山本七平氏はこう述べている。
〈日本には「抗空気罪」という罪があり、これに反すると最も軽くて「村八分」刑に処されるからであって、これは軍人・非軍人、戦前・戦後に無関係のように思われる。「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない〉
同氏は太平洋戦争時に徴兵され、外地での戦闘にも参加した人物であり、昭和の世間を支配していた「空気」について論考したわけだが、本稿で私は、令和における日本の「空気」について考察してみようと考えている。
結論を先に述べてしまうと、昭和も現代もあまり変わりはない。基本的には「全体主義」「他人から厳しい目を向けられないことがもっとも重要」「現実的かつ科学的な結論、具体的な効果効用などはさておき、他者と違うことをしないことが大切」という3つの価値観が、日本社会の「空気」をつくり出している。