評価軸は「ソト」ではなく、自分のなかに持て
繰り返すが、日本人はもっとゴーマンになっていい。そこで重要なのが、自分たちの弱点を正しく認識し、それを克服するためにはどういう意識を持つべきなのか、必死に考える姿勢だ。他者の目を過度に意識し、空気を読んでばかりでは、日本の将来は危うい。
些細なことかもしれないが、まずは「『ソト』から日本をホメてほしい」といった、評価軸を自分の外部に置くような意識を捨てよう。そのためにも「外国人による日本礼賛」から一定の距離を置いてみてはどうだろう。こうした意識は「他者からどう見られるかが人生の一大事で、いちいち空気を読んでいないと落ち着かない」といった日本人に根付く負け犬根性から脱却することにもつながってくる。
加えて、「ソト」からの評価を気にしてばかりいると、結果としてモノの見方が偏狭になり、「最大の関心事は、自分(たち)が『ソト』からホメられるかどうか。それ以外はどうでもいい」という歪んだ自意識を育んでしまうことがあるから、ますますタチが悪い。弱点と向き合わず、耳当たりのよい言葉だけ探してしまう状態だ。
1995年に野茂英雄がMLBに移籍して以降、MLB、海外サッカー、NBAなどに日本人選手は続々と参戦したが、日本の報道の多くは「その日本人選手がどんな成績を収めたか」だけにフォーカスしがちだ。それは最近の「なおエ」報道にも表れている。
ちなみに「なおエ」とは、大谷翔平のその日の様子ばかりに文字数を割き、最後の一文で「なお、エンゼルスは1-4で負けた」とそっけなく締める報道のことである。試合結果はどうでもよく、海外で日本人選手がいかに活躍したかだけが大事。なんとも視野が狭くて、甘っちょろいではないか。
結局、自分と真摯に向き合い、自分を軸にして物事を捉えること。その上で、何事も自ら判断を下し、行動を起こしていくことでしか、活路は開けないのだ。「他者(他国)と協調して」といえば聞こえはいいが、それで自分を見失ってしまっては元も子もない。
【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・メディアに溢れる日本礼賛コンテンツは、自信を失った日本人が「海外の視点で見る日本の素晴らしさ」を触れて、脆弱な自尊心を保つために消費されている。
・日本人はもっとゴーマンになるべき。日本礼賛コンテンツにすがる必要はない。「海外からホメてもらいたい」といった卑屈な姿勢はとっとと捨ててしまおう。