海外に出ると日本の衰退を肌で感じる
1960年代以降の高度経済成長を経た後に生まれた日本人は、「日本は安全」「日本は技術大国」「日本は民度が高い」「日本は治安がよい」「日本は一流国家」といった意識づけをされながら暮らしてきた。しかし、1992年以降、給料はほぼ上がっていない衰退国であるというのが実態だ。
バブル崩壊以降の経済の低迷は「失われた30年」とも評され、それはいまも継続中であるといわれている。しかしながら、1990年代後半~2000年代初頭あたりまでは「まだ日本は世界経済において、それなりの権勢を誇っている」と信じる空気はあったように思う。
それはテレビ番組「ここがヘンだよ日本人」(1998年~2002年・TBS系)や、コミックエッセイ『ダーリンは外国人』シリーズ(2002年~)といったヒットコンテンツにおいて、日本という国への違和感が表現されていたことからも読み取れる。この頃はまだ「外国人の視点から見る、日本の奇異な点」を、当の日本人がネタとして笑い飛ばせるような余裕があったのだ。だが、そうした空気は次第に薄れていき、2010年代を迎えるころには「『ソト』の目を介して日本のよさを再確認する」コンテンツが注目されるようになった。
実際、今年2月からタイやラオスで過ごしている私も、日本の凋落を肌で感じている。日本食のチェーン店はいまでも数多くあるものの、かつてドンムアン空港やスワンナプーム空港から市街へ向かう際に多数見られた日本企業の看板は激減した。客引きからも「アンニョンハセヨー」や「ニイハオ!」と声をかけられるようになった。それだけ中国や韓国、台湾の存在感が日本より増しているということだろう。日本人の駐在員は相変わらず日本人相手のキャバクラなどでガハハハ! と自信満々の様子だが、円建ての給料は大したことないらしい。
ビジネスの「ゲームチェンジ」に対応が遅れっぱなしの日本
いまこそわれわれ日本人は、自分自身を見直さなければならない。正直、日本が戦後発展した理由は「【1】朝鮮戦争特需」「【2】欧米様が生み出した家電や自動車の性能・機能を向上させた」という2点に集約されると、私は考える。いわば「ラッキー」と「パクリ」が日本を発展させたのだ。
1990年代中盤以降、インターネットが人々の暮らしにおいて重要な位置を占めるようになり、ゲームチェンジが起きた。いまやビジネスの要点は「新たな仕組みを生み出す発想力や技術力」「すべてをかっさらえるプラットフォームで先行者利益に浴する」といったあたりにシフトしている。
だが、哀れかな、日本には新しい仕組みを生み出す能力が壊滅的になかったのだ。せいぜいスマホゲームを開発し、ユーザーの課金をアテにする程度のことしかできなかった。
「スマホが次の携帯端末の主流になる」という気運が生じつつあった頃も、「機能を増やせば、まだまだ評価されるはず」と日本はガラケーの強化に勤しんだ。発想の方向性が「あるものをいかに活用するか」に偏りがちで、「これまでこの世に存在していなかった、まったく新しいものを生み出す」という思考が苦手……という日本人の弱点が浮き彫りになってしまったわけだ。
もはや、戦後日本の“繁栄の残滓”のような「野球が強い」「サービスの質が高い」くらいしか、日本人はすがれないのかもしれない。であれば、冒頭で紹介したようなWBCの「ニッポン、すごいですねー!」報道ばかりになるのも、まあ道理だろう。