共同通信記者による2つの炎上事件
共同通信記者による炎上騒動が相次いでいる。
1つはJAXA会見で放たれた記者の発言をめぐる問題だ。2月17日に打ち上げられる予定だったJAXAの新型ロケット「H3」がトラブルによって発射されず、その後開かれた会見で起きたやりとりに批判が集まった。
JAXA側がロケット発射について「中止」と説明したことに対し、共同通信の記者が「失敗ではないか」と問いただした。重ねて「中止」と説明するJAXA側に対し、「それは一般に失敗といいます」と言い放ったことが「敬意のかけらもない態度」だとして、ネット上で多数の批判を集めることになったのだ。
もう1つはツイッターの匿名アカウントで過激な投稿を繰り返していた「桜ういろう」の問題だ。フォロワーは1.6万人超えで、現在は削除されているが、「ネトウヨは知識が足りない」などと保守系ユーザーを煽っていた。
とりわけ昨年7月には、在日ウクライナ人の政治評論家ナザレンコ・アンドリー氏の<人類史上、最も人を殺したカルトは「共産主義」という>という投稿に、次のようにリプライを送り、炎上した。
<日本人は満州や朝鮮で、ソ連人に強姦され虐殺されました。日本人にとってナザレンコ・アンドリーさんの祖国ウクライナもまた加害者なんですよ>
<お金が欲しいのは仕方ないかもしれませんが、どうかインチキ宗教のお金目当てで日本人を扇動するのはやめてください>
この「桜ういろう」について、今年2月、週刊ポストの取材で、共同通信の記者の匿名アカウントであることが発覚し、大騒ぎになった。
「中止」か「失敗」か確認するのは当たり前
こうした騒動に対して、ネット上では記者の態度や資質を疑問視する声が次々と上がっている。しかし私はこの2つの件を記者個人の問題に矮小化してはいけないと考えている。
会見の生配信など、取材現場の可視化が進んでいる。オープンになったことによって、記者個人が名指しで批判されるようになった。そんな時代だからこそ、炎上騒動を起こしたマスメディアは説明責任を果たし、不信を払拭する役割が求められている。そうしなければ会社で働く記者を守ることすらできないだろう。
何を隠そう、私自身、新聞記者時代に炎上した経験がある。当事者だった身として今回の件について考えていきたい。
まず、JAXA会見について記者の立場に立って考えてみたい。
記者は会見でロケットが発射されなかったことについて、「中止」か「失敗」かを何度も確認しているが、これは必要な取材と言えるだろう。今回の事案を中止と捉えるか失敗と捉えるかで、ロケットをめぐる記事の見出しが大きく変わる可能性があるからだ。
例えば、翌日の読売新聞は「H3打ち上げ直前中止」という見出しを取っているが、もし会見での説明が「失敗」だった場合は、見出しも「H3打ち上げ失敗」と大きく変わることとなる。こうした認識について聞くのは、記者の仕事としては当たり前とも言えるだろう。