発表側は物事を軽く見せようとすることがある

さらに、JAXA側が「中止」と説明したとしても、それに「失敗ではないか」と疑問を投げかけることは決して悪いことではない。会見では発表側が、より穏当な表現を使って物事を軽く見せようとすることはままあるからだ。

政治家が政治とカネの問題をめぐって「記憶にない」などと説明しているのに対し、記者が事実関係を並べて「そんなわけがない」と糾弾することは想像に難くないだろう。

今回の会見での記者の指摘は「意図しない異常による中断は失敗と言うのではないか」というものだった。JAXA側はロケットが発射しなかった原因は、異常を検知して補助ブースターへ着火信号が送出されなかったからとしているが、会見時、その異常が何であるかは不明だった。

一方でJAXA側は「安全に止まる設計の範囲の中で止まっているので失敗とは言い難い」と主張している。なお、会見を見れば分かるが、ここでは中止や失敗について何か定義があるわけではないため、議論は平行線で終わっている。

説明責任を果たさない態度が火に油を注いでいる

このように説明すれば会見での記者の質問は著しく不適切な点があったわけではない。

最後に記者が「それは一般に失敗といいます」と言い放ったことが問題になったわけだが、批判されたポイントは2つある。1つは、自身の考えを勝手に一般化してしまったこと。もう1つは、「捨て台詞」と形容されても仕方がない、その態度だ。

この問題は、本来、会見で質問した意図や、なぜ記者が「一般に失敗」と考えたのかを会社が説明し、記者の態度に不適切な点があったならば謝罪すれば済む話である。

しかし、私が共同通信社にこの件についての見解を問うたところ、「お答えを控えさせて頂く」という返事があっただけだった。今月、2度目の打ち上げが行われたが、今日に至るまで公式見解も出ていない。

こうした対応に、今のマスコミが炎上を過熱させ、「マスゴミ」と揶揄されてしまう根本的な問題があると言えるだろう。