貯金ができる人、できない人の違いはどこにあるのか。ライター・編集者の中川淳一郎さんは「カネをためるのに必要なのは『臆病さ』。そして、身の丈に合った金銭感覚。自分の場合は若いころのキツいバイトで刻み込まれた『苦痛の対価としての889円』という時給額が、消費における判断基準になっている」という──。

セミリタイア後も順調に貯金が増える

2020年9月1日、当時47歳だった私は、長年携わったネットニュース編集の仕事をすべて辞し、半隠居生活を開始した。仕事量を激減させたぶん、年収もかなり減った。だが、私は元来、カネを使わない。セミリタイアから間もなく3年経過するが、貯金は着実に増えている。ずいぶん前に「5%上がったら売っておいてください」と証券会社に頼んでいた金融商品はいつの間にか5%アップを達成。それも貯金額を押し上げた。

1万円札の上に、木製ブロックで「FIRE」の文字
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対して、現役バリバリの同世代は順調に出世を重ねたり、転職などでキャリアアップを果たしたりしている。素直に「立派だな」と思う。ところが、彼らと飲んだりすると「貯金が足りねぇ……」と愚痴られることがある。そのたびに私が言うのはこんなことだ。

「○○(相手の名前)には“子供”という大事な財産が2人もいて、家だって持っている。大したものだよ。フェイスブックでも、ナイスな食生活とか、高級リゾートホテルに泊まる様子を紹介してるだろ。それで幸せならばいいじゃないか」
「子供を一人前にするのは大変だろうけど、子育てから得られる喜びも多いはず。それに将来、子供が恩を返してくれるかもしれない。家ナシ、子ナシ、質素生活なオレよりずっと幸せだよ。というか、幸せの尺度は個々人によるわけだし、貯金がなくとも○○は幸せなんじゃないの?」

第一線で働く同世代に抱く畏怖の念

こうした高年収の同世代の暮らしぶりを見ると、「カネはあるだけ使ってしまう」といった状況であることが多い。また「遺産や大化け株でも持っているんじゃないの?」と尋ねても「それはない」と返す人が大半だ。

こんな話をすると「貯金ができないなんて信じられない」「将来を見越して資産形成できないのが悪い」などと、私が批判的に捉えているように感じるかもしれないが、そうではない。むしろ彼らのような生き方は、小心者の私からするとうらやましく感じてしまう。他人の細かな懐事情など知るよしもないが、彼らはおそらく「生涯現役」を受け入れる、覚悟のようなものを持っていると想像する。

そう考えると、あったらあっただけカネを使ってしまう人というのは、人生を楽観的に見通したうえで、必要に迫られれば70歳になっても稼いでいける自信があるのだろう。私が47歳で半隠居生活に入った理由は、「50歳を過ぎたら若者に到底太刀打ちできない」と考えたから。「あの人、古臭いんだよ」と現場の最前線で活躍する下の世代に陰口をたたかれるより、ひっそりと目立たない場所で小遣い稼ぎをするほうが、惨めな気持ちにならずに済むと思ったのだ。だからこそ、50歳を超えても一線級で仕事をこなし続けている人に対して、私は畏怖の念を感じてしまうのである。「よくもこんな修羅の世界で生き延びていますね!」と。