貯金ができる理由は「臆病」だから

さて、ここから本題なのだが、私は今回「貯金ができる人」と「できない人」の違いについて考察していく。ただ、念押ししておくが「貯金できる人のほうがエラい」「有り金をジャンジャン使ってしまう人は愚か」という杓子定規な話をしたいわけではない。生き方は人それぞれ。絶対的に正しい選択なんてあり得ない。その前提で読み進めていただきたい。

私のように貯金ができる人間は、端的に評すと、とにかく「臆病」なのである。思考の根底には、常に不安が横たわっている。だから、思い切ったカネの使い方がなかなかできない。加えて、個人的には大嫌いな言葉だが、いわゆる「コスパ」を重視してしまうのだ。

たとえば、東京から鎌倉へ鉄道で向かうとき、私はJRの在来線でグリーン車を利用する。休日であれば、グリーン券は580円だ。普通運賃に580円を加えることで、車内の快適度が大幅に上がる。座席は特急のような2人掛けシートになり、景色を眺めながらゆっくりと弁当も食べられるし、ビールなどの車内販売も来てくれる。

一方、新幹線に乗る場合、自腹で運賃を払うのであればグリーン車を利用する気にはなれない。東京・新大阪間の片道料金は指定席で1万4720円。グリーン車だと1万9590円。差額は4870円だが、金額ほどの価値が私には感じられないのだ。席が少し大きいことと車内誌が読めること、車内販売がすぐに来ることなどがグリーン車のメリットではあるが、正直、新幹線は普通車でもかなり快適である。新幹線グリーン車の快適度は、コスパ具合でいうと在来線以下に感じてしまう。

新大阪駅に展示された新幹線の座席
写真=iStock.com/winhorse
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この4870円の差をどのように捉えるか、という視点が貯金の多寡にも関わってくるように思う。同じ収入であっても貯金額が違ってくるのは、こういった場面でカネを多く使うか、安く抑えるか──そうした積み重ねの結果なのだ。

「分相応」の感覚が貯金を助ける

現在、佐賀県唐津市で生活している私の住居は賃貸マンションだ。間取りは2DKで家賃は6万円台である。だが、「夫婦2人で暮らすだけなら、1DK程度の間取りで家賃4万円台の物件でも十分かもしれないな」と近ごろ思うようになった。

日本人なんてしょせんは150~180cmくらいの大きさしかないわけで、日常生活を営むだけならそこまで広いスペースは必要としない。われわれはヒグマでもゾウでもないのだ。大きな家に住んだところで、部屋を持て余したり、掃除が面倒になったり、無駄にモノを増やしてしまったりするだけである。

このように「分相応」「必要十分」の感覚を持っていると、案外カネはたまっていくものだ。給料・報酬が入るたびに預金額は増えていくから「あぁ、今月も黒字だった……」と安心することができる。そして、翌月以降も安心感を継続していきたいから、何事においても「余計なカネは使わないようにしよう」という発想になる。結局「臆病か、豪気か」というスタンスの違いが、貯金の多寡につながるのだ。豪気な人はたまらず、臆病な人はたまる、ということではなかろうか。