ケチとして歩む人生に悔いなし
こうして、私はケチ方向に完全に振り切った人生を歩むことになり、「889円以下だったらどんな食べ物でも許容する。889円以上の場合は、支払う意味や価値をしっかりと考える」といった金銭感覚が基本になった。それこそラーメン一杯、生ビール一杯の価格も、この889円を基準にして費用対効果のよし悪しを判断するようになっていった。
金銭感覚は往々にして、若いころに培われるもの。私は「時給889円」が経典のように刻み込まれたため、いまも20歳のころと変わらぬ経済観念を持っている。どんなに収入が増えても「889円」という金額がすぐ頭に浮かんでくるので、財布のヒモは緩まなかった。だから、自然に貯金は増えた。
そんな私だが、たとえば遠くからやってきた大切なお客人をもてなすときなど、然るべき場面ではカネをためらいなく使う。しかし日々の暮らしにおいては「時給889円」という感覚を絶対に忘れることはない。「三つ子の魂百まで」ではないが、若いころに身に付いた感覚や価値観は、思いのほか人生に深い影響を及ぼすものなのだな……と改めて感じ入る、50歳目前の夏の日の2023である。
【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・それなりに稼いでいるはずなのに「貯金がない」と愚痴る人は多い。そういうタイプは往々にして「カネがあると、あるだけ使ってしまう」消費傾向がある。・貯金できるかどうかは、その人が持っている「臆病さ」次第というところがある。不安感が強い人間は将来を楽観視できないので、よくも悪くも出費を抑えてしまう。
・若いころに身に付いた金銭感覚は、年を重ねてもなかなか抜けず、生き方に深く影響する可能性がある。
・つましい生き方、豪気な生き方、どちらを選ぶのもアリ。ただし、自分で納得できないカネの使い方はしないほうがいい。