東日本大震災から14年がたった。事故を起こした福島第一原発は、その後どのようにして収束作業が行われたのか。ジャーナリストの堀潤さんは「発災から1年余りがたったころ、数枚のSDカードが福島から送られてきた。元原発作業員が目撃した杜撰な労働実態が記録されていた」という。その衝撃の告発内容の一部を『災害とデマ』(集英社インターナショナル)より紹介する――。

営業マンを辞めて、原発作業員に応募

2012年5月。私はひとりの男性と福島県で出会います。林哲哉さん。当時40歳。

長野県で内装や建設関係の仕事を続けた後、自動車関連の会社で営業マンとして働いていましたが、原発作業員として福島第一原発で働くことを決めたばかりでした。

林さんは「テレビや新聞を見ていても、現場の実態がよくわからないんです。福島第一原発で、いったい何が起きているのか。もはや、自分で確かめにいくしかないと思いました」と語ります。

原発事故から1年が経っても、なかなか進まない被災者への補償。総理大臣が冷温停止状態と宣言しながらもトラブルが絶えない原発の収束作業。事故後の政府や東京電力の対応の中で働く日常の中で感じてきたジレンマや違和感に通じるものがあったといいます。

見出しに踊る「廃炉原発」の文字
写真=iStock.com/y-studio
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誰の目線で仕事をしているのか?

被災した人たちの立場に立った政策がとられているのか?

情報公開も徹底されず、自分たち一般人は、原発事故の収束作業がどの程度まで進んでいるのかも正確なところがよくわからない。廃炉の現場を目指す理由を教えてくれました。

「内部の実態を明らかにしたい」

会社を辞め、ネットの求人サイトで見つけた原発作業員の募集に思いきって応募することにしました。

高い放射線に身をさらされたら、いったいどうなってしまうのか。

そのとき、家族からは心配され、自分自身も正直なところ恐怖を感じているというのが率直な気持ちだといいます。

しかし、それでも作業員として内部の様子を直にこの目で確認して、情報を求める一般の多くの人たちに伝えたいという思いが強くなっていきました。

そんな折にSNSを通じて、わざわざ会いに来てくれたといいます。

「たしか堀さんは、一般の人が発信するのを支援するプロジェクトを進めていると投稿していましたよね? その中で、自分が作業員として見てきたことを発信できないでしょう?」

林さんはまっすぐ私の目を見てそう語りました。とてもありがたい申し出でした。

そこから、林さんが福島第一原発に向かうまでの期間、取材のノウハウを身につけるトレーニングや必要な機材の使い方をレクチャーする時間を設けました。

「今、生まれた子どもたちが、将来大人になり、20年、30年後も原発事故の収束作業に駆り出されているかもしれません。未来の子どものためにも、作業員の労働環境が少しでも改善されるよう、内部の実態を明らかにしていきたいです」

林さんは、こうした私との時間を経て、その1週間後、東京電力福島第一原発の作業員として、浜通りに向かいました。その取材の成果はその後、全国放送のニュースで報道されるほどのスクープにつながっていきます。