父親の死後に決めた三つの人生目標

第12回で書いたように、藤田にとってのロールモデルは1996年に永眠した父親・堅太郎である。基礎自治体の役人でありながら「起業家」として活躍。さらには、木頭の自然環境を守るためにすべてをささげ、最後には自分の命と引き換えにダム建設にストップをかけたのである。

これを受けて、藤田は人生目標として三つのことを決めた。一つ目は藤田家を復興すること、二つ目は木頭を再生すること、三つ目は母親を幸福にすること。キックボクシングと関係しているのは二つ目と三つ目、特に三つ目である。

ダム反対闘争の渦中に放り込まれた夫を支えていた示子。言うまでもなく彼女も反対闘争とは無縁ではいられなかった。ダム反対派と賛成派で村全体が二分されるなか、村立幼稚園園長を辞めた。子どもが大好きで、幼児教育を天職と思っていたにもかかわらず。

このダム騒動について描いた書籍『奇跡の村 木頭と柚子と命の物語』(KADOKAWA)によれば、きっかけは賛成派からの心無き批判だった。

「助役の家は夫婦で公務員じゃけん、この大不況でも金に困っとらんのや。せやからわしらの生活苦をのんきに眺めておれるんじゃ」

強まる一方の風当たりに立ち向かうためには早期退職するしかない、と示子は思った。夫が60歳で定年退職するまであと数年辛抱すれば、夫婦水入らず幸せな生活を送れるようになる……。

ところが、である。堅太郎は村のために定年延長し、志半ばで帰らぬ人となったのである。61歳だった。

楽しそうにミット打ちをする母親の動画

藤田は言う。「大好きな仕事を諦めたうえ、最愛の伴侶まで失えば、誰でも大きな衝撃を受ける。だから僕は父親の代わりになって母親を支え、幸せにしてあげなければならないと思ったんです」

支えるとはどういうことなのか。藤田はシンプルに考えた。基本は二つ。一つは毎日母親に連絡を入れて「愛している」と伝えるということ、もう一つは毎月母親を呼び寄せて実際に会って話をするということ。これが20年以上続いた。

2020年に入って状況が一変した。新型コロナウイルスの感染拡大によって行動制限が課せられたためだ。母親は一人で家に閉じ込められる格好になり、活力を失って固形物も口に入れることができなくなった。やがて木頭の知り合いから「お母さん、最近元気ないけれども大丈夫?」という連絡が入るようになった。

そんななか、姉から一つの動画が送られてきた。動画の中では母親がミット打ちをしており、とても楽しそうに見えた。藤田は膝を打った。これだ!

当時、母親は徳島市内で2週間に1回のペースでスポーツマッサージを受けていた。トレーナーから「マッサージ前に血流を良くするために体を温めておきましょう」と言われ、ミット打ちを行っていたのである。