自分の本当にやりたい仕事はどう見つければいいか。銀座オーナーママの河西泉緒さんは11歳の頃、父の会社の倒産と失踪により極貧生活に陥った。パティシエ、精進料理人の道を志すも方向転換し、30歳で銀座デビューを飾ったのは自分の心の声に従った結果だという。日本水商売協会代表理事の甲賀香織さんが書いた『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)より紹介しよう――。

※本稿は、甲賀香織『日本水商売協会 コロナ禍の「夜の街」を支えて』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

絵に描いたような富豪一族と娘としての葛藤

銀座「CLUB AMOUR」のオーナーママ、河西泉緒かわにしみお

彼女の人生ほど、「波乱万丈」という言葉が似あう人生はない。彼女はどんな状況からでも、這い上がってきた。

誰にも甘えず、長いものに巻かれることもなく、自らの理想のお店を、人生を着実に実現させている。

幼少期は、東京都調布市内で一番の大豪邸で過ごした。絵に描いたような富豪一族で、だだっ広い敷地の中には親戚らの家が3軒並び、運転手付きの高級車が数台あったという。

裕福だった理由は、祖父が大企業の経営者だったからだ。

社員2000人を抱える会社を一代で築き上げた。洋服もおやつも手作りしてくれる優しい母と、かっこいい父。

3人姉妹の中で満ち足りた生活を送っていた――と、周囲からは思われていただろう。

しかし、幼い泉緒の心は、常に何かと闘っていた。いとこ10人が同じ敷地で暮らしていたが、祖父からは孫の中で自分だけが好かれていない気がしていた。

頑張らないと人には認めてもらえない。人から愛されるために、習い事も、お手伝いも誰よりも頑張っていた。

そして、小2にして摂食障害になる。学校で、太ももの太さをからかわれたショックがきっかけだった。

23歳で摂食障害を克服するまで、ずっと頭の中から食べ物への興味、罪悪感、呪縛が消えることはなかった。

銀座CLUB AMOURのオーナーママ、河西泉緒さん。
銀座CLUB AMOURのオーナーママ、河西泉緒さん。