倒産、そして父の失踪

裕福で幸せな生活も、少しずつ歯車が狂い始めていた。2代目として父が会社を継いだ頃、日本はバブル期の絶頂にいた。そして、勢いのある会社ほど、崖からの転落も早い。

泉緒が11歳の頃にバブルが崩壊。そして、会社が倒産する。

土地も家も、すべて手放すこととなった。あまりの急な転落に、泉緒の父は相当なストレスを抱えていたに違いない。

引っ越しを目前にしたある日、大好きだった父が姿を消した。

「パパはいつ帰ってくるの?」と何度も母に尋ねた。母は、何も答えなかった。

父は通っていた銀座のクラブで知り合ったホステスと駆け落ちをしたらしい、ということを後から知った。

泉緒は、銀座のホステスに父を奪われたと感じ、ホステスという存在を憎むようになった。

そして、父が不在のまま一家での引っ越し。母は娘たちにみじめな思いをさせたくないと言い、無理をして3LDKのアパートを借りてくれていた。

泉緒は自分が生まれ育った、つい昨日まで住んでいた家が大きな音を立てながらブルドーザーで潰されていくのを、泣きながら見守ることしかできなかった。

不安と、悲しさと、寂しさで押しつぶされそうだった。

パティシエという職業の現実

思春期の子どもたち3人を抱えた母は、給料の良い土木作業員として夜通し働きながら、必死に子どもたちを守ってくれた。そんな母には感謝しかない。

少しでも母を助けることができればと思い、中学生になった泉緒も、西調布の洋菓子店「ぱてぃすりーど・あん」でアルバイトをして家計を支えた。

しかし、泉緒は一家での狭いアパート暮らしがどうしてもいやだった。

成績の良かった泉緒は都立高校へ入学と同時に、一人暮らしを始めた。家賃5万円、築40年、三宿の風呂なしアパート。

「ボンマルシェ」(現在は閉店)という洋菓子店で働き、自分の生活費は自分で賄う生活をスタートする。

ペットボトルに水道水や、自分で作ったお茶を入れ、お弁当は自分で握った具なしのおにぎりを持ち歩く。帰りに近所のパン屋さんでパンの耳をただでもらい、それを夕食代わりにしていた。

高校の同級生たちが大学受験の話をしているなか、泉緒は大学へ行くつもりがなかった。洋菓子店でアルバイトをしていた中学の頃から、パティシエになると決めていたからだ。

専門学校を経て、本格的にパティシエとしての仕事をスタートさせる。

しかし、アルバイトとしては経験があるものの、職人としての仕事は想像以上に過酷だった。

勤務時間が朝9時から夜9時まで。そして手取り収入は16万円程度。独り暮らしをする泉緒には、少なすぎる収入だった。

サイフ 空っぽ
写真=iStock.com/Suriyawut Suriya
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食費を賄うこともできず、売れ残りのケーキで空腹を満たすのが日常茶飯事だった。

経済的に困窮し、睡眠時間も少ない。劣悪すぎる環境下で、パティシエへの情熱はどんどん冷めていった。