この中途半端さはどこからきているのか

ところがここでも中途半端のままです。偉大な発明であるにもかかわらず、その後の研究の発展については京都大学まかせになっており特別な予算もついていません。山中氏自身が研究資金集めに奔走するような状況です。2026年に特許が失効するまでに、細胞を使った世界ナンバーワンのビジネスを確立できるのかどうか心もとない状況であると言わざるを得ません。

日本の中途半端さを突き詰めると、過去からの悪い癖が見えてきます。この弱点をしっかり認識して、そこから抜け出していくためのリスキリングの方向を考えてみましょう。

まずは単年度主義です。中長期的な目線がなく、小手先の戦術ばかりに終始してしまうことになります。その小手先の戦術にしても場当たり的な資源の逐次投入、いわば小出しですから、まるで戦時中の日本軍の負けパターンをそのままなぞっているかのようです。既存の製品の市場シェアを高めようとマーケティングキャンペーンを練るのは戦術です。

しかし先ほどの例でみたように、戦略とは今から5年後や10年後、20年後を見越して本当にその製品やサービスの市場がまだ存在しているのか、存在しているとしたらどのような市場になっているのかを描いて、そこに至る道を描き出すことです。

横断歩道を歩く通勤者
写真=iStock.com/mbbirdy
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専門能力のないジェネラリストはもう要らない

偏った成果主義も日本の中途半端さの要因です。多くの企業にとって「成果」というと短期的な数値業績のことを意味し、真のイノベーションを生み出していくという意味での成果には目が向けられていません。

よって、働き手には何のためにやっているのか、やらされているのか、納得感が生まれません。そうなると、やっていることに思いが込められず、コミットメントや忍耐、やり抜く力が出てこなくなります。

ジェネラリスト志向も同様です。なんでもできる「総合職」のままでいては、専門能力を磨いたり、プロ意識を持ったりすることはできません。つぶしはきくかもしれませんが、単なる調整屋や手配師で終わってしまいます。今後デジタル化が進むと中間管理職の存在意義が薄れ、最終的には組織がフラット化されて中間管理職のジェネラリストは不要になるでしょう。

コロナ禍でリモートワークが進んだことで、この傾向は既に現れています。徳岡が人事研修をしている会社では、リモートワークになって「仕事として何をすればいいのか分からない」と一番困っていたのはまさに実務がなく口だけで仕事をしていた部長職の方々です。誰からも何をすべきか指示されないと何をしていいのか分からないジェネラリストの調整屋は不要になりつつあるのです。