吉野氏が開発したリチウムイオン電池はテスラへ

吉野彰氏がリチウムイオン電池実用化の目途をつけたのは1985年です。高性能二次電池を開発した吉野さんは、オックスフォード大学でも高く評価されていました。2019年にリチウムイオン電池の開発に対してノーベル賞が贈られましたが、これも高い評価を裏付ける証左であると言えます。にもかかわらず、日本の中でリチウムイオン電池の重要性はそれほどしっかりと認識されませんでした。

結局、リチウムイオン電池の力を最大限に引き出してEVのマーケットシェアを確立したのはテスラです。将来、自動車はガソリン車からEVになる、という将来像を描けていたテスラがこの技術の恩恵を最大限に引き出し、時価総額でそれまでトップの自動車メーカー3社の合計をも抜いてしまいました。

逆に、目の前のモノづくりというお家芸に注目していた日本企業はせっかく日本人が開発した技術を活かしきれなかったのです。

「発明で儲ける」という姿勢がまるでない

青色発光ダイオードもiPS細胞も、日本の組織や国として天才をうまく使いきれなかった、また、特許を取得した発明をビジネスとして伸ばしていけなかった例です。

青色発光ダイオードに関しては、発明者である中村修二氏が勤務していた日亜化学はこの発明から巨額の利益を得ました。それにもかかわらず、その発明者の中村氏を守りたてて、その才能を利用して、もっと大きなビジネスにつなげることができなかったのです。

米国や中国の強みとして、天才の持てる力をさらに引き出せるように育て、天才が考え出した発明やビジネスのまわりに人が集まってみんなで盛り上げてもうけて行こうとする機運を醸成する姿勢が挙げられます。日本では逆に結果平等の考えが広まりすぎていて、天才を天才として特別扱いせず、ひいきしないことが良しとされています。その結果、せっかくの天才・中村氏も日亜化学では不遇をかこつことになりました。

iPS細胞も同じです。京都大学の山中伸弥氏らが世界で初めてiPS細胞の作製に成功したのは2006年です。2012年にノーベル賞を受賞したことから、誰の目から見ても大きな可能性を秘めた画期的な発明であることは納得できるはずです。本来なら、特許の切れる2026年までに日本は国として特許を保有している京都大学に十分な予算を手当てし、そこからビジネスを生み出し、雇用や経済に波及させていくべきでしょう。