本書は、グローバル化がますます進展する21世紀における戦略的思考の重要性を説き、日本にいかにそれが欠けているかを指摘する。ノーベル賞経済学者のトマス・C・シェリングによれば、「『勝利』という概念は、敵対する者との関係ではなく、自分自身がもつ価値体系との関係で意味をもつ」(25ページ)。そうであれば、日本にとって最大の戦略は「今、戦争状態のない」(同)ことを維持することにある。
その基本は日米同盟だが、そこにゲーム理論の一つ“ナッシュ均衡”を当てはめると「我が国にとって最良の戦略は、日本独自で決められない。関係国の動きによって変化する」(86ページ)。その米国の戦略が、2001年のブッシュ大統領登場で一変する。ブッシュ氏が、国家が互いに軍事力を自制する「ウエストファリア体制」からの離脱を目指した結果、近代=脱宗教の世界に「再び宗教対立を持ち込んだ」(82ページ)のだ。こうした背景の下で、60年安保は大きく変質していく。問題は、日本人自身が気付かぬうちにそれが進んでいることだ。
05年10月、「日米同盟―未来のための変革と再編」が締結されたが、日米同盟の「深化に諸手をあげて賛成できるものではない」(182ページ)。なぜなら、「何カ月、あるいは何年も先に実現しそうな脅威を除去するための予防戦争」(同)に、日本が巻き込まれる懸念が高まるからである。2500年前の兵法書『孫子』の名言「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」が、一段と重要性を増してくる。
戦略的思考の欠如は、何も安全保障の分野に限定されない。例えば、日本のエリートの出世の基本はミスせずに数多くのポストをこなしていくことだが、それゆえ、「日本の官庁、企業の人に『あなたは2年、3年後何をしていますか』と問うても正確な答えは出てこない。ポストは会社や企業が決める」(57ページ)。これでは、戦略的発想など生まれまい。
目先しか見ないマスコミの責任も大きい。「日本の首相の短命が続く。マスコミは政策議論をせず、政争だけを追っかける。そして国民も政争だけで内閣の有りようを判断する」(62ページ)。普天間基地を巡って、日本の報道機関はゲイツ国防長官の怒りを報じたが、当時の鳩山政権に協力すべきだというジョセフ・ナイ氏らの論にはほとんど触れなかった(194ページ)。
「ウエストファリア体制」が揺らぐとともに、軍事戦略や経済構造が激震に見舞われ、日本はますます短期的思考に陥っている。足下の景気が大切で、今燃えている家の消火活動をまず最優先すべきだとのコンセンサスの下、その後どういう家を造るかという議論は後回しにされる。長いスパンで歴史を捉えてこその戦略的思考であり、「歴史こそ実験室」(135ページ)なのだ。