※本稿は、名取芳彦監修『ぶれない心をつくる ポケット空海 道を照らす言葉』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。
私たちの肉体は泡のようにもろく、また、人生の行く末は夢幻のようにはかないものだ、と空海はいいます。
救いのない言葉に思えるかもしれませんが、しかし空海は、そんな世を嘆けといっているのではありません。「夢や幻のような人生を生きていくのだから、早く真理に気づきなさい」と諭しています。
つまり、しょせんは仮の姿であり、すべては消えてしまうのだから、栄華を求める欲や執着、自分をよく見せたいという見栄、あいつには負けたくないという囚われを捨てよ、といっているのです。そうすれば、心穏やかに生きていけると。そんな悟りの境地を求め、これまで長い歴史の中で多くの僧侶が出家し、修行に励みました。
どんな選択をしても「間違い」にはならない
とはいえ、もちろん出家だけが選ぶべき道ではありません。
僧侶にならずとも、この幻のような現実世界をしっかり生き抜いていく方法があります。
この身はいつ消えるともしれず、将来も保証されていないかりそめの世界で人間は生きていくのですから、いっそのこと、その世界を大切にすればいいのです。
いい換えれば、現実の世界で、自分自身が抱いている夢、こうなりたいという希望、こんな毎日を過ごしたいという願いを、思う存分大事にしていけばいいのです。
人生が、ひとときの夢だと思えばなんでもできます。自分自身の人生なのですから、どんな選択をしても「間違い」ではありません。もちろん、そうしたいのであれば、欲や執着はすべて捨てると決めてもいいでしょう。
かりそめでしかない世界と、その世界でしか生きられない自分という存在を受け入れてしまいましょう。そうすれば、自由ですがすがしい世界がそこに広がっているかもしれません。
あらゆることを肯定し、悟りの足がかりとする
密教はすべての物事を「大肯定」していきます。自分自身の環境も、日々の出来事も、人間関係や感情も、自分の願いもまるごと受け入れます。それらをすべて肯定した上で、悟りへと至るための足がかりとするのです。まずは、いいことも悪いことも「うたかたの夢」と開き直って受け入れる。悔いなき人生はそこから始まります。