「また、塾だけでなく小学校低学年の子どもが行く学童クラブは、夏休みになると毎日お弁当を持っていかないといけないんです。そういったお弁当の新しいマーケットが出てきています。

実は、夏休みなんてかつてはもっとも売れなかった月なのに、今は急に伸びたりします。一方、運動会シーズンは稼ぎ時だったんですけれど、コロナ禍で運動会は午前中に終わるようになりました。お弁当を持っていかないから、運動会のシーズンは売れなくなりました」

おべんとクンの場合は消費者の生活状況が変わると売り上げが変化する。ヒットの要因は味、アイデアだけでなく、消費者の生活をつねにウオッチする努力が欠かせない。

40代、50代がお酒のつまみに

伊藤は「もうひとつ現れたマーケットがあります」と続けた。

「近頃、顕著なのがコロナ禍の買いだめ需要もあるのですが、おべんとクンの1袋のものより、2袋や3袋が束に巻いてある『束もの』が売れています。モニタリングしてみると、最初の動機としてはお弁当用に買うのですが、残りはつまみで食べたり、朝ごはんのおかずに使ったりしているようです。

そして、40代、50代の方たちが子どもの頃に食べたおべんとクンを懐かしがって、お酒のおつまみとして夜に食べている。ミートボールを小さく感じてしまう世代ですね。

温めなくても食べられるんです。例えば僕みたいに遅く帰ってきて、袋をぱっと開けて皿に出してようじでつまみながらビールを飲む。冷めていてもおいしいのがうちのおべんとクンです」

「おべんとクン」はもうすぐ発売50周年を迎える
撮影=プレジデントオンライン編集部
「おべんとクン」はもうすぐ発売50周年を迎える

真空パック技術を開発して一気に拡大

おべんとクンが生まれる前の1970年、同社は日本初の調理済み「チキンハンバーグ」を発売し、ヒットさせている。このヒットがなければおべんとクンは生まれていなかった。

同社の顧問でハンバーグの開発に詳しい石澤聖寛まさひろは言った。

「チキンハンバーグを出す(1970年)まで、うちの会社の主力商品は煮豆でした。最初は量り売りでしたけれど、すぐに真空パックの煮豆を売り出したのです。煮豆を真空包装にして販路が拡大したので、その作り方を鶏肉でできないかと思って、最初は鶏のクリーム煮、から揚げを作ったのですが、当時、ブロイラーが高かったので、ふつうの鶏肉を使ったところ、親鶏ですから肉が固い。そこでミンチにしてハンバーグにしたのです」

開発・製造技術プロジェクト顧問の石澤聖寛氏
撮影=プレジデントオンライン編集部
開発・製造技術プロジェクト顧問の石澤聖寛氏

石井食品は戦後、つくだ煮の製造からスタートした。それは本社が船橋にあり、つくだ煮にする小魚の調達に地の利があったからだ。その後、煮豆に重心を移す。その際、豆をおいしく炊くだけに力を入れたのではなく、食品包装の技術を高めることを志向した。

ハンバーグ、ミートボールというヒット商品は真空パックという技術がなければ生まれないものだった。