広島に急成長を遂げているスタートアップがある。高級バッグに特化したサブスクリプション(定額制)サービスを日本で初めて立ち上げたラクサス・テクノロジーズだ。事業もユニークだが、「週休3日」「朝食・昼食・軽食を無料提供」など就業環境も変わっている。ジャーナリストの牧野洋氏がリポートする――。(第3回)

第2回から続く)

ラクサス・テクノロジーズの児玉昇司社長。2015年、毎月定額でブランドバッグが使い放題になる「Laxus(ラクサス)」をローンチ
筆者撮影
ラクサス・テクノロジーズの児玉昇司社長。2015年、毎月定額でブランドバッグが使い放題になる「Laxus(ラクサス)」をローンチ

『24時間戦えますか』と問うCMの衝撃

ラクサスを率いる児玉昇司(45)。起業のきっかけは何だったのだろうか。栄養ドリンク「リゲイン」のCMのキャッチコピー『24時間戦えますか』だ。

テレビでこのCMが放送されたのは1988~92年。バブル絶頂期とちょうど重なる。中学生・高校生として多感な時期を過ごしていた児玉はCMを見て違和感しか覚えなかった。

1970年代の高度成長期に日本人サラリーマンは海外で「エコノミックアニマル」と呼ばれ、1980年代になっても長時間労働にどっぷり漬かっていた。家族をばらばらにする単身赴任も当たり前。今で言う「ブラック職場」が日本中に蔓延していた。

児玉は社会人になっている先輩に聞いてみた。「普通にサラリーマンになったら、私生活はなくなるのですか?」

ワークライフバランスという言葉さえなかった時代だ。先輩はあきれ返った顔をして言った。「有給休暇なんて期待したら駄目。出世するのはまず無理だよ」

そんなことから、児玉は自分が普通のサラリーマンになる未来をうまくイメージできなかった。サラリーマンが嫌なら自分で起業するしかないな、と思った。屈指の進学校である広島大学付属高校では完全に浮いていた。起業家志望のクラスメートは皆無だったからだ。

自由になるには起業家か地方公務員しかない

サラリーマンが嫌でも例外が一つあった。地方公務員である。

14歳のとき、母親が肺がんで亡くなり、家庭環境が激変した。自分自身は中学生になっていたとはいえ、妹はまだ小学6年生。父親は男手一つで子育てしなければならなくなった。

ここで父親は異例の行動を取った。広島市の市役所職員から広島市安佐北区の区役所職員へ転じたのである。こうすれば区内での転勤しかないから、働きながら子どもたちの面倒を見ることができる、と判断したのだ。

今でも脳裏には当時の父親の姿が鮮明に焼き付いている。例えば、父親は昼休みになると家に戻り、夕食を作るのである。「地方公務員であれば残業もないし、遠隔地への転勤もない。父親のように自由になるためには、地方公務員か起業家のどちらかになるしかない、と思うようになりました」