瀬戸内海のしまなみ海道は国内外から年間33万台の自転車が通行する「サイクリストの聖地」である。その名物は、高速道路上で行われる「サイクリングしまなみ」。自転車のために高速道路を封鎖するというイベントは、愛媛県知事の尽力で始まった。ジャーナリストの牧野洋氏がリポートする――。(第5回)

(第4回から続く)

「高速道路を止めて自転車に開放したらすごい」

イノベーションのためには妄想力が不可欠――。「スマートスキン」をはじめ数々の発明で知られるコンピュータ科学者の暦本純一。自著『妄想する頭 思考する手』(祥伝社)の中で妄想力の重要性を説いている。

〈本当にイノベーションを起こしたいなら、「こうあらねばならない」的な真面目路線のほかに、「非真面目」な路線を確保することが必要だと私は思う。つまり、人をキョトンとさせるような妄想を語る人間を排除しない〉

10年前の2012年にしまなみ海道を舞台にして開催された「日台交流・瀬戸内しまなみ海道サイクリング」は大成功した。地方自治体が世界最大の自転車メーカーであるジャイアント(本社台湾)を巻き込み、世界に向けてしまなみ海道を売り出せたのだ。

立役者は愛媛県知事の中村時広(62)だ。しまなみ海道を「サイクリストの聖地」として根付かせるためにはこれで終わりにしてはならない、と思った。とはいってもジャイアントに頼り続けるわけにはいかない。そもそも自転車メーカーはジャイアントだけではない。

どうしたらいいものか……。ここで妄想力を働かせた。高速道路を止めてサイクリストに開放したらすごいんじゃないか!

突拍子もないアイデアといえた。当時の日本にはまだサイクリングブームは訪れておらず、交通規制して高速道路上で国際サイクリング大会を開催するのは前代未聞だったのだから。

中村は当時を振り返ってこう話す。「瀬戸内海の絶景を見ながら広々とした高速道路を走る――。きっと爽快でしょう? その思いだけで突っ込んでいきました」

愛媛県の中村時広知事
写真=筆者撮影
愛媛県の中村時広知事

広島県側は「そこまではちょっと付き合えません」

前例踏襲主義がデフォルトになっているのが官僚組織。誰もがキョトンとした反応を示した。県庁内では「そんなこと本当にできるんですか?」という不安が相次ぎ、広島県側からは「そこまではちょっと付き合えません」とつれない反応が返ってきた。

しまなみ海道は愛媛県・今治市と広島県・尾道市を7つの橋でつないでいる。サイクリングロードとして有名であるとはいえ、基本は自動車専用道路だ。広島県側の協力なしでは全面的な通行止めは難しい。

中村は全面開放を断念し、次善策として愛媛県側だけ部分開放して大会開催を目指すことにした。