必死の陳情の結果、通行止めは「3時間限定」
部分開放で一件落着というわけではなかった。高速道路を止めるとなると、愛媛県は国交省や本州四国連絡高速道路(旧本四公団)などとも掛け合い、許可を得なければならなかった。
2017年に「自転車活用推進法」が施行されたこともあり、今でこそ国レベルで自転車への理解が高まっている。国交省は同法に従って地方自治体を指導し、自転車専用道やシェアサイクル施設の整備を進める立場にある。
だが、2012年当時は違った。国交省担当者は「自転車のために高速道路を通行止めにするなんて」と言い、困惑するばかりだった。
それでも中村は諦めず、何度も国交省に対して陳情を行った。最終的に2013年夏に条件付きで許可を得られた。「一度だけ通行止めを認めます。ただし3時間です。3時間たったら元に戻してください」
これを受け、愛媛県は同年10月に「プレ大会」を実施する方針を決めた。プレ大会は本当のサイクリング大会というよりも、課題を検証するための実験という位置付けだ。
たった一度のチャンスで最大限のインパクトを
一度だけ与えられたチャンスを使って最大限のインパクトを与えたい、と中村は考えた。うまくやれば一度だけで終わらずに、正式に大会開催につながるとにらんでいた。
そこで県庁職員に呼び掛け、土日に予行練習を行った。運転免許センターの敷地でカラーコーンを設置・撤去してみたり、しまなみ海道に赴いてサイクリストを誘導してみたり、さまざまなシミュレーションを行った。
中村は「とにかく3時間以内ですべてを終わらせるという思いで、みんなボランティアで頑張ってやってくれました」と振り返る。
プレ大会当日、しまなみ海道に現れたのは愛媛県関係者だけではなかった。国交省や広島県からも視察団が訪れた。高速道路をサイクリストに開放するとどうなるのか、自分の目で確かめたかったのだ。
3時間限定のプレ大会なのに、全国各地から3000人のサイクリストがしまなみ海道に結集。サイクリングが始まると、まるでマラソン大会のように沿線住民からはエールが送られたた。知事自身も愛車にまたがってサイクリスト集団に加わった。