瀬戸内海に浮かぶ大崎下島では、社会起業家が「介護のない社会」を目指すプロジェクトを進めている。全国各地で増えている限界集落のうち、なぜ大崎下島が選ばれたのか。ジャーナリストの牧野洋さんがリポートする――。(第8回)
(第7回から続く)
母親の介護に関わり「残りの人生をささげたい」
更科安春、67歳。介護問題をライフワークにしたのには個人的な理由があった。自分の母親の介護である。
2014年のころのことだ。母親が90代に入りにわかに衰え、入退院を繰り返すようになった。それまで何でも一人でこなしていたというのに、ちょっとしたことで転んだり、一日中寝込んでいたり。そのうち認知症も患うようになった。
すでに還暦を迎え仕事のペースを落としていた更科。母親の面倒を見ながらでも仕事ができると考え、在宅介護の道を選んだ。結局、母親が94歳で亡くなる2017年まで3年間にわたって在宅介護に関わった。
実業家・孫泰蔵と久しぶりの再会
在宅介護中、大きな転機があった。2015年の大みそか、更科は旧知の実業家・孫泰蔵(50)に久しぶりに会ったのだ。そのころには仕事観を一変させ、残りの人生を介護問題にささげたいと思うようになっていた。
「母親の面倒を見ていて、介護制度の問題点を目の当たりにしました。これからは介護をライフワークにしようと思っているんです」。
孫は投資会社ミスルトウ(Mistletoe)の創業者。一般的にはオンラインゲーム大手ガンホー・オンライン・エンターテイメントの創業者として知られており、ソフトバンクグループ創業者・孫正義の弟でもある。
「ならばうちに来てまた一緒にやりませんか?」
もちろん更科はOKした。母親が永遠の眠りに就くのを待ってミスルトウの契約社員になり、15年ぶりに孫と職場を共にすることになった(2000~02年にも孫の学生ベンチャーであるインディゴで働いていた)。
孫にとっては更科の「介護のない社会」構想は願ったりかなったりだった。というのも、ミスルトウは単なる投資会社ではないからだ。