膠着状態を打開してくれたのは台湾の立法委員(国会議員)で親日派の李鴻鈞だった。中村が当局との交渉に臨む際に同席し、「ガンガンやってくれた」という。
結局、「松山-松山」」のチャーター便は2013年10月になって実現した。中村が松山市長から愛媛県知事に転じてすでに3年たっていた。
中村は一国の元首ではなく地方自治体の首長にすぎない。にもかかわらず、事実上の外交交渉を行い、台湾当局から政策変更を引き出したといえる。
妄想力があれば、点と点は必ずつながる
中村の経歴を点検すると、数十年前から一貫して台湾と深いつながりがあることが分かる。知事就任以降を見ても、①2012年に台湾のジャイアントとの連携で「しまなみ海道サイクリング」が実現、②2017年に台湾一周サイクリングをモデルにした「四国一周サイクリングルート」が完成、③2019年に台湾桃園国際空港と松山空港を結ぶ定期直行便が就航――をはじめ、台湾関連の実績は枚挙にいとまがない。すべてシナリオ通りなのか?
中村は「単なる偶然です」と言う。「松山市長になった当初は自転車を使う発想も持ち合わせていませんでしたから」
米アップルの創業者、故スティーブ・ジョブズには次の名言がある。「前もって点と点をつなげることはできません。後で振り返って初めてつながっていたと分かります。だから、いつかは点と点がつながると信じて行動することが大事です」
四半世紀前の「プー太郎」時代に初めて「松山-松山」を思い付いた中村。最初は点と点はつながっていなかった。だが、妄想力が働き、最後には点と点はつながったのである。
(文中敬称略)