「ウィンドウズ95」の発売で大学生活に焦り

結局、児玉は地方公務員ではなく起業家の道を選んだ。1995年に早稲田大学理工学部に入学してから半年後のことである。

心を動かしたのは米マイクロソフトの「ウィンドウズ95」だった。操作性と汎用性の高さから大きな人気を集め、パソコンが世界で爆発的に普及する原動力になったオペレーティングシステム(OS)だ

日本で「ウィンドウズ95」が発売されるのは同年の暮れ。インターネットの普及とも重なり、発売前から異常ともいえるほどの盛り上がりを見せていた。いわゆる「第3次ベンチャーブーム」が幕を開けようとしていた。

当時、彼は早稲田大を卒業後に大学院へ進学し、最終的に米マサチューセッツ工科大学(MIT)へ留学するキャリアパスも視野に入れていた。理工系を選んだからにはIT(情報技術)教育で世界最高峰のMITを目指したい、と思ったのだ。

しかし、「ウィンドウズ95」をめぐる盛り上がりを目の当たりにして、焦りを感じた。卒業するまでにあと4年間早稲田大に籍を置かなければならないのか? MITに行きたいのならなぜ今すぐに行かないのか? 大学院まで待つ必要はないのではないか? さまざまな疑問が湧いてきた。

父親に黙ったままで「うっかり中退」

「18歳の若者にとって4年後なんて遠い未来。卒業時の22歳はもうおじさんみたいな存在」と児玉は言う。「それまで待っていられないと思いました。MITも魅力的だったけれども、『ウィンドウズ95』を見て一気に起業に傾いたんです」

1995年、早稲田大を中退して1回目の起業。オフィスは格安マンションで、本棚は押入れだった
写真提供=児玉氏
1995年、早稲田大を中退して1回目の起業。オフィスは格安マンションで、本棚は押入れだった

今でこそ大学生の起業は珍しくない。シリコンバレーをモデルにして日本でも「大学発スタートアップ」はブームになっている。とはいっても、大学に籍を置いたままの起業が一般的であり、大学を中退しての起業はリスクが大きいため例外的だ。

彼はなぜ中退したのか。「何かすごいことが起きている。何かしなければならないと思い、居ても立ってもいられなくなんです。起業したい思いが強過ぎて、うっかり中退してしまいました」

シングルファーザーの父親をがっかりさせるのは間違いなかった。そこで父親には何も伝えないままで大学を中退し、北海道で親戚の結婚式が開かれたときに事後報告している。

「怒られましたね。でも、その後も仕送りを続けてくれて、ありがたかったです」