数年前のことだが、私の後輩の榎本泰子さんという人が、シナのフランス文学者フーレイが、息子であるピアニスト・フーツォンに送った手紙を編訳して『君よ弦外の音を聴け』(樹花舎、2004)として刊行した。『中国の小さな踊り子』という映画に、このフーレイが訳した、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』の一節が朗読される場面があり、シナではフーレイはこの長篇小説の名訳者として知られている。

ところがその時、某師匠は榎本さんからこの本を贈られて、「ロマン・ロランなど古臭い」と言ったそうで、実際近ごろは、ロマン・ロランの人気はあまりないらしい。昔はずいぶん『ジャン・クリストフ』などを中心に読まれたものである。

私の母も若い頃『ジャン・クリストフ』を読んで感動した、というので、私が幼い頃にその冒頭部だけを読み聞かせてくれたのだが、家にあった新潮社の世界文学全集の、黄色い箱に入った小型のそれを、私が自分で読み始めたのは大学生の時で、前半部だけでやめ、20年ほどたってから残りを読んだが、やはり名作だと思った。

ジャン=クリストフは、ベートーヴェンをモデルにしているとよく言われるが、これは誤解を招く。時代的には19世紀後半の、ドイツ生まれの音楽家の生涯を描いたもので、むしろベートーヴェンの精神をモデルにした、というだけのことである。興味深いのが、フランス人であるロランが、ドイツ人を主人公にしたことで、ジャン=クリストフはフランスへも渡り活躍するが、このことが、19世紀後半から20世紀前半の、普仏戦争から第一次世界大戦という、ドイツとフランスがたびたび戦争をした時期をロランが生きたことと深い関係がある。

ロランは、1866年に生まれ、1944年に、ドイツに占領されたフランスにおいて死去している。トルストイの後の世代の平和主義者だが、平和主義や非戦論というのは、自国が侵略される危機にある時には生まれないものである。トルストイは、ロシヤが東方へ向って拡大政策をとっていた時の人であり、マハトマ・ガンディーの非暴力主義も、インドが英国に植民地化されている中での運動の一つだった。ロランもまた、第一次大戦に当たっては、敵国ドイツを非難し、トーマス・マンはドイツを弁護してロランと論争している。またその後は、社会主義を認めるかどうかで迷ったりもしたが、ナチス・ドイツの擡頭に対しては強い反対の意思表明をしている。だがフランスは破れ、その際、ロランの家だけはナチスが破壊しなかった、と言われてもいる(新庄嘉章『ロマン・ロラン』中公新書)。

だが、『ジャン・クリストフ』を読了して何より印象に残ったのは、ジャンが音楽界の派閥や党派争いから超然として、派閥を作り卑怯な仲間褒めをする者たちを激しく非難するという、後半の部分だったのである。ロマン・ロラン自身は、1916年、50歳という若さでノーベル文学賞を受賞していたが、むしろその後になって、愛国的でないといった理由で批判を浴びた。

先の某教授が、『ジャン・クリストフ』が古臭い、と言ったと聞いた時、私はとっさに、この某教授も徒党を組むのが好きな人だから、それで党派性を批判する小説が気に入らないのではないか、と思ったものである。夏目漱石の「私の個人主義」という講演は、党派性を批判したものである。ところが世に、漱石を礼讃しながら徒党を組み、はなはだ党派的な人々がいる。『ジャン・クリストフ』が古臭いとされ、今日あまり褒める人がいなくなったのは残念なことで、ロマン・ロランの、党派性を排する姿勢は、もっと評価されるべきものであると、私は思う。