2月の演説でプーチンが語ったこと
2022年2月21日、プーチン大統領はドンバスの2つの「人民共和国」の国家承認を決定したあと、オンラインで演説を行ない、その中で今回の軍事侵攻の理由を詳細に述べたのだが、そこで興味深いエピソードを一つ紹介している。それは2000年6月、退任前のクリントン米国大統領がロシアを訪問し、大統領になって間もないプーチンと会談したときのこと。プーチン大統領のほうから、ロシアのNATO加盟について米国はどう思うかと問うたという。
プーチン大統領は演説で、これに対するクリントンの反応はかなり抑制されたものであったとした上で、米国の真の答えはその後に米国がロシアに対してとってきた諸々の措置が物語っている、と述べている。
クリントン大統領とのやりとりの真偽は確かめようがないが、重要なことは、このようなエピソードを紹介することでプーチン大統領としては、いかに自分が「米国に裏切られてきた」かを説明したかったのだろうと思われることである。
アメリカに「裏切られた」という強い思い
プーチン大統領は2001年9月11日、ニューヨークのワールド・トレード・センターがテロリストの攻撃を受けたとき、真っ先に米国に対し協力を申し出たという自負がある。ところがその後に米国がとった行動は、ロシアがその裏庭と考える中央アジアに基地を建設し、ABM条約から一方的に脱退し(2002年)、ジョージアのバラ革命(2003年)、ウクライナのオレンジ革命(2004年)などを「主導」し、さらに一貫してNATOを拡大し、「ロシアを包囲するため」のグローバルなミサイル防衛システムを構築してきたことであり、ロシアは完全に「裏切られた」とプーチン大統領は考えている。
このような主張には交渉を有利に進めるための政治的思惑も含まれており字義通りに解することはできないが、この「米国に裏切られた」とするプーチン大統領の強い思いが、KGB要員としてさまざまな秘密工作活動に携わってきた経験とあいまって、うかうかしているとロシアは米国、NATOに支配されてしまう、ロシアは自らを守るため軍事力を一層強化し、自国の安全を確保するための戦略環境を構築していかなければならない、との意識を強く抱かせることとなったと思われる。